2022-05

都新聞芸能逸話集

三代目左團次候補の浅利慶太(都新聞芸能逸話集)

二代目市川左團次は名優と謳われながらも、後継者に苦しんだ一人であった。そんな左團次が晩年溺愛したのが、妻・登美の甥にあたる浅利鶴雄の息子(左團次から見れば大甥)、浅利慶太であった。劇団四季の創設者で演劇界の親玉的存在であった浅利慶太その人である。
都新聞芸能逸話集

一人娘の扁桃腺もカワイイ中村芝鶴(都新聞芸能逸話集)

中村芝鶴はインテリと美貌の歌舞伎俳優として知られた名脇役であった。処世術は確かであの手この手で修羅場を乗り越えた。芯のある女方の芸と良識を持ち味に多くの俳優から慕われた。最晩年まで、大幹部の格を保ちながら天寿を全うしたのは、何かと躓きたがる俳優にしては珍しい事であった。
都新聞芸能逸話集

前進座の看護師役・市川莚司(都新聞芸能逸話集)

「前進座の看護師役・市川莚司 - 都新聞芸能逸話集及びその周辺」市川莚司とは聞きなれない名前であるがその正体は戦争体験記『南の島に雪が降る』の作者であり、長門裕之・津川雅彦兄弟の伯父である加藤大介である。
都新聞芸能逸話集

ああ自分達が客になりたい(都新聞芸能逸話集)

「ああ自分達が客になりたい- 都新聞芸能逸話集及びその周辺」正岡容は落語や浪曲の台本作家、研究家として知られた人物である。自身が落語修業をやっていた事もあって、芸人と仲が良く、何かと面倒を見ていた。そんな正岡容が持っていた落語会の逸話である。
都新聞芸能逸話集

スキー大好き坂東蓑助(都新聞芸能逸話集)

「スキー大好き坂東蓑助 - 都新聞芸能逸話集及びその周辺」この坂東蓑助は、後の八代目坂東三津五郎である。晩年は歌舞伎界の物識りと知られた彼であるが、若い頃の一時期、スキーを趣味にしており、暇さえあれば群馬や長野の山奥へ行って、滑っていたというのだから意外である。
文学ウロウロ

「息子」ならぬ「親爺」をやりたい三津五郎(都新聞芸能逸話集)

「「息子」ならぬ「親爺」をやりたい三津五郎 - 都新聞芸能逸話集及びその周辺」1933年に、蓑助の老爺、しうかの金次郎、段四郎の捕手役で小山内薫の『息子』が上演された際に、蓑助の親父の三津五郎が放ったという逸話です。
都新聞芸能逸話集

耳鼻科へ来た吉右衛門・彦三郎と大島伯鶴(都新聞芸能逸話集)

「耳鼻科へ来た吉右衛門・彦三郎と大島伯鶴 - 都新聞芸能逸話集及びその周辺」歌舞伎の中村吉右衛門、坂東彦三郎と講談の名人、大島伯鶴がのどを痛めて耳鼻科でばったり出会ったときに起こった逸話です。
都新聞芸能逸話集

猛優たちの腹切り問答(都新聞芸能逸話集)

「猛優たちの腹切り問答 - 都新聞芸能逸話集及びその周辺」中村又五郎は、「猛優」と綽名された俳優で、少年役者として売り出し、成人後は浅草や小芝居を中心に活躍した。何でもこなす器用な役者として知られ、澤村訥子と共に浅草の顔役であった。そんな又五郎が盲腸炎になった話。
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不憫な中村富十郎兄弟(都新聞芸能逸話集)

戦前戦後関西歌舞伎の花形として活躍した四代目中村富十郎と、女流舞踊の名人と謳われた吾妻徳穂は、若い頃楽屋の出入りで仲良くなり、周りの馴染を皆振り切って駆け落ち結婚をしたという情熱的な恋の持主であった。二人の間に、渡邊一と元靖という子が生まれたが、離婚。兄弟は生き別れた。
都新聞芸能逸話集

鏡獅子の小姓は古いか新しいか(都新聞芸能逸話集)

六代目菊五郎の鏡獅子は、九代目団十郎の娘二人(翠扇・紅梅)から厳しく仕込まれ、遂に自分の芸にした。戦前は菊五郎の事実上の独占の芸として知られ、可愛がっていた後輩の中村福助以外にはほとんど許さないなどの権威を誇った。そんな鏡獅子のお話し。