尾崎紅葉は山の名前? ―3人目・尾崎紅葉―

学問のすずめ

尾崎紅葉のペンネーム由来

シャーリィ
シャーリィ

なるほど……尾崎紅葉の概要はわかりました。こんな人だったんですねえ。で、尾崎紅葉はどうして「紅葉」っていったんですか?

チュン太先生
チュン太先生

尾崎紅葉の由来? 簡単簡単、近所に紅葉山があったから。だから尾崎紅葉。おわり。

シャーリィ
シャーリィ

ちょ、ちょ、ちょっと待ってください! そんな簡単でいいんですか?

チュン太先生
チュン太先生

事実なんだから何とも言えないけど……少し補足しておこう。

チュン太先生
チュン太先生

紅葉は、江戸芝神明の門前町、芝中門前町の出身だったんだが、生みの母親に死に別れた事や親父が遊び人だった事もあってか、芝神明町の母の実家に引き取られて、祖父母に養育されたんだね。そういった経緯が尾崎紅葉の父親不信の下地になったわけだが、さておき。

チュン太先生
チュン太先生

その芝神明町の近くにあったのが紅葉山さ。徳川家康以来、将軍の霊廟が創建され、それに伴い、木々が植えられて紅葉の名所として知られていた。基本的に江戸城の中にあったから庶民の出入りは許されなかったそうだが、かつての京都御所やらなんやらのように、入れないけどあるだけで自慢できる場所だと考えられていたんだね。

シャーリィ
シャーリィ

へー! 将軍の霊廟があったんですか!

チュン太先生
チュン太先生

後年、ビルや電車が出来た事で、東京の街は、遠くを見渡せない複雑な都会になってしまったが、紅葉が生まれた幕末から明治の初期にかけては、実にのどかなもので、家から紅葉山が見えたという。しかも、まだ紅葉山のすぐ近くの霞が関や江戸城――もとい皇居が再開発される前だからさぞ身近な存在だったと思われる。

シャーリィ
シャーリィ

今の観点だけではわからない名前ですねえ……。

チュン太先生
チュン太先生

しかし、その紅葉山も明治維新やらなんやらでかつて江戸城きっての名所だったものも、徐々に姿を消すようになった。再開発だの、街そのものの移り変わりでね。

シャーリィ
シャーリィ

それを忘れないようにするために……。

チュン太先生
チュン太先生

そう考えるべきだろうね。

チュン太先生
チュン太先生

それと、我楽多文庫を作る前の予備門時代――高校生くらいの時には、「縁山」と名乗っていた。

チュン太先生
チュン太先生

それと、我楽多文庫を作る前の予備門時代――高校生くらいの時には、「縁山」と名乗っていた。

シャーリィ
シャーリィ

それも地名から出たんですか。

チュン太先生
チュン太先生

そう。これはもっと簡単で、自分ちのすぐ近くに、江戸随一の寺と謳われた芝増上寺があったから。この芝増上寺の山号が、「三縁山」。これから「縁山」と名乗ったそうだ。

シャーリィ
シャーリィ

山号ってのはなんですか

チュン太先生
チュン太先生

うーん、一口に言うのも難しいが、屋号的なものというべきかね。無論それだけではないが……昔、寺は山に作る例が多かったから、寺の名前に建っている山の名前をつけたわけだね。

チュン太先生
チュン太先生

たとえば、比叡山に建っている延暦寺だから「比叡山延暦寺」、高野山に建っている金剛峰寺だから「高野山金剛峰寺」とか。芝増上寺なんか海の近くで山なんかないに等しいわけだけど、この習慣をもって、「三縁山」と名乗っていたわけだ。

シャーリィ
シャーリィ

ああ、寺の名前の前に山の名前がつくのはそういう理由があったんですねえ……

チュン太先生
チュン太先生

どうも話が逸れてばかりいるが、そういった背景から名付けたといえよう。身もふたもなく言えば、「子供の頃に親しんでいた土地をペンネームにしたら、それで売れたのでそれが定着しちゃった」という事かな。紅葉自身は、そこまで筆名にこだわりや強い願いなどを持っていなかったんではないか、ってくらいそっけないよ。

チュン太先生
チュン太先生

今回の件をまとめるとこうなるかな。

1、尾崎紅葉の「紅葉」は江戸城にあった「紅葉山」からとられたもの。
2、若い頃の「縁山」は、近所にあった「芝増上寺」の山号「三縁山」からとられたもの。
3、当人はそこまで深い信念や想いでペンネームをつけた模様ではなかった。

シャーリィ
シャーリィ

でも生まれ故郷に名所があって、そこから名付けられるっていいですね! 先生も何か名乗ったらどうですか?

チュン太先生
チュン太先生

……僕の場合は寿々芽ディストピアとか塵山とかになりかねんのよ

シャーリィ
シャーリィ

……?!

シャーリィ
シャーリィ

(先生どんなところで生まれたんだろう……??)

コメント

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