4人目・幸田露伴

文学ウロウロ

4人目・幸田露伴

シャーリィ
シャーリィ

先生、ジョジョに岸辺露伴って主要人物が出てきますが、彼は幸田露伴の親戚なんですか?

チュン太先生
チュン太先生

急に来たね……これは簡単で、荒木飛呂彦氏が単に幸田露伴の名前を気に入ったから「露伴」って拝借したわけで、別にそこに深い関係も縁戚もないのだよ。

シャーリィ
シャーリィ

ほへー。名義を借りたってことですか。

チュン太先生
チュン太先生

まあ言い方悪いがそうなるかな。

シャーリィ
シャーリィ

そもそも露伴ってどういう意味なんですか?

チュン太先生
チュン太先生

そりゃある程度の理由はあるんだが……その前に露伴の生い立ちを語らないとちょっとその事情が浮かび上がらない。

シャーリィ
シャーリィ

幸田露伴ってのは古い作家ですよね? 日本の近代文学でも大体最初の方に紹介されるようですが……言の葉たちも「あれは古い作家」といってましたし。

チュン太先生
チュン太先生

確かに古い。それこそ前回話した尾崎紅葉と鎬を削ったんだから……ただ、30代で夭折した紅葉と違い、露伴は太平洋戦争終結まで生きた。ある意味では生きた文学史的な存在だった。もっともその早いデビューと活躍のせいで凄まじい文学界の流動、はやりすたりを目の当たりにするんだが……

シャーリィ
シャーリィ

そういえば先生は、露伴と紅葉は同い年と前に言ってましたよね?

チュン太先生
チュン太先生

そうね。両者共に慶應三年の生れ。露伴の方が半年ばかりお兄さんだが……。ただ、この二人は対照的な人生を歩んだ。

シャーリィ
シャーリィ

へえ~寿命とかですか?

チュン太先生
チュン太先生

寿命だけでなく、ね……。露伴の本名は幸田成行。兄は成常、成忠……この成忠ってのは探検家で有名なんだが……弟は成友。父の名前は成延という。成づくしだが、これは「成」を家の名前にしていたからだね。

チュン太先生
チュン太先生

この露伴の父親というのは、元々徳川幕府の役人――幕臣で、いわばエリートであった。幸田家の婿養子となった人だが実家もまた江戸城勤めのお数寄屋坊主を代々務める家であったという。

シャーリィ
シャーリィ

じゃあ、おぼっちゃまじゃないですか。

チュン太先生
チュン太先生

ところがどっこい、露伴の生れた直後に幕府が崩壊して、これまでの権威や職を失った。幸い、父親の成延は柔軟な性格で、変なプライドを持つ事なく、商人に転向し、なんとか家族を養う事が出来た。

シャーリィ
シャーリィ

「士族の商法」にはならなかったんですね……。

チュン太先生
チュン太先生

でも、江戸時代と比べると暮らし向きは良くなかった。何とか養えこそするが、子供たちに高等教育は中々施せなかったんだね。なんだかんだ言いながら大学まで進学した紅葉と違い、露伴は中学を中退している。もっとも、当時中学に行けるだけでも相当なんだが……。

シャーリィ
シャーリィ

紅葉が嫌悪していた父親の方が金稼ぎや高等教育の資金を得るのが上手かったってのも皮肉ですねえ……。

チュン太先生
チュン太先生

学校もろくろく卒業でないまま、彼は電信修技学校に入って、電信技術者になった。

シャーリィ
シャーリィ

電信技術者?

チュン太先生
チュン太先生

これも通信の発達で滅びてしまった仕事であるが……明治時代から戦後の一時期にかけてはモールス信号、「トントンツー」みたいなのが主要だったわけだね。

シャーリィ
シャーリィ

ああ、「トトトツートトト」とかいうやつですね。SOSでしたっけ?

チュン太先生
チュン太先生

まあ認識は間違いじゃないね。電子メールや電話が普及していない時分は、そのトントンツーの電信でニュースや速報を送り合っていた。「電報」なんかいい例だろう。

シャーリィ
シャーリィ

「チチキトクスグカエレ」

チュン太先生
チュン太先生

よくそんなこと知っているね……まあ、その電信には解読の知識や発信のやり方などがあったわけで。技術職だったんだね。露伴はその仕事に就いたわけだ。

シャーリィ
シャーリィ

なるほど~

チュン太先生
チュン太先生

技師になって派遣されたのが当時開拓がはじまっていた北海道は余市という所。それこそ戦後の北海道といえば有数の観光地だったというが、まだ江戸時代の名残の残る時代の北海道、それこそ、蝦夷だ。あるのは漁師町と簡単な飲み屋街だけだ。東京とは比較にならないほどの寒村だったという――それでもまだ都会の方だったというのだから驚きだね。

シャーリィ
シャーリィ

辺境への赴任みたいな……。

チュン太先生
チュン太先生

まあそうなるだろう。で、ここで技師として働き始めるのだが――都会っ子の露伴にとっては決していい所ではなかったようだ。なんせ一年の三割が雪の下、ニシンが登ってくる季節以外は連絡する事もなかったわけで。

シャーリィ
シャーリィ

ニシン? 魚のニシンですよね?

チュン太先生
チュン太先生

そうだよ。昔はニシンを使って肥料を作っていた。食用とかにもした。ニシンが取れれば大儲けさ。北海道には「ニシン長者」なんてもいたくらいで。

シャーリィ
シャーリィ

なるほど……。

チュン太先生
チュン太先生

しかし、それで喜ぶのは漁師や関係者だけ。技師はその報告を送るだけだ。なんと単調な日々だろう。文化的施設も本屋もない。わずかに寺や飲み屋、女郎屋があるだけ。

シャーリィ
シャーリィ

でも、ブラック企業の人から見ればうらやみそうな……。

チュン太先生
チュン太先生

しかしねえ、娯楽も何もなく、ただ漠然と暮らすってのもつらい話だろう。ブラック企業の時代はなんだかんだ言いながら暇つぶしの品があるからね。無論、ブラック企業は許されなかったが……。一方で、虚無的な退屈を極めるのもまた苦しいものなんだ。僕もわかるけど。

シャーリィ
シャーリィ

(僕もわかるけど……?)

チュン太先生
チュン太先生

友人もなく、コミュニケーションもなく、遊ぶにも金がかかる。10代後半の露伴にとっては鬱々とした日々だっただろう。 その旅の最中に露伴は「露伴」の名前を得たのだ。

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