都新聞芸能逸話集

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いたずら孫娘を褒めちぎった三津五郎(都新聞芸能逸話集)

「いたずら孫娘を褒めちぎった三津五郎 - 都新聞芸能逸話集及びその周辺 」八代目坂東三津五郎には、喜子、慶子、寿子という三人の娘がいた。この孫娘を七代目三津五郎は溺愛し、息子を勘当した後も(後年許される)、孫娘の事を気にかけていた。ここで紹介されているのは、守田喜子――先年亡くなった十代目坂東三津五郎の母、坂東巳之助の祖母である。
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立ち聞きの多い腕の喜三郎(都新聞芸能逸話集)

「立ち聞きの多い腕の喜三郎 - 都新聞芸能逸話集及びその周辺 」腕の喜三郎は江戸時代に実在した侠客の一人で、喧嘩で腕を大怪我したが、「こんな見苦しい腕はあってもしようがねえ」と門弟にのこぎりで落とさせ、片腕になった――という猛者で、この伝説が江戸中に知られて評判になったという。今も両国回向院にその墓がある。
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人間は時計のようにいかない坂東彦三郎(都新聞芸能逸話集)

「人間は時計のようにいかない坂東彦三郎 - 都新聞芸能逸話集及びその周辺 」ここでいう坂東彦三郎は六代目。名人・五代目菊五郎の実の息子で、五代目が兄貴分と見込んだ坂東彦三郎家の養子に入り、坂東家を継承した。人間国宝で知られた十七代目市村羽左衛門は実の息子、今も活躍する坂東彦三郎はひ孫にあたる。
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26年間、舞台から引込まない羽左衛門(都新聞芸能逸話集)

「26年間、舞台から引込まない羽左衛門 - 都新聞芸能逸話集及びその周辺 」歌舞伎の演目と技法に「だんまり」というのがある。「暗闘」という字を当てるそうだが、「暗闇の闘い」の名の通り、闇の中にいる心で演者一同が手探りあい、見得をする――という古風なものである。
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引越しよりも鯉や鮒の飼育が楽しみな仁左衛門(都新聞芸能逸話集)

「引越しよりも鯉や鮒の飼育が楽しみな仁左衛門 - 都新聞芸能逸話集及びその周辺」ここでの我當とは、昭和から平成にかけて活躍した名人・13代目仁左衛門の事である。義太夫狂言と深い解釈のある演技と芸談で晩年「神品」とうたわれるほどの人気を集めた。
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玉井の可楽、表彰される(都新聞芸能逸話集)

「玉井の可楽、表彰される - 都新聞芸能逸話集及びその周辺 」玉井の可楽とは七代目三笑亭可楽の事である。芸能評論家の安藤鶴夫が彼の芸に心酔し、小説を書いたほどであった。地味な芸であったが、聞く人が聞けばわかるそんな芸であったという。
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桂文治はマニラの野球選手(都新聞芸能逸話集)

八代目桂文治は、落語協会の会長を勤めるほどの重鎮であったが、いささか臭い芸風とケチな性分から遂に大名人になり損ねた人物である。顔が色黒で長ぁい風貌だったところから、「インド人」「ナス」「写真の原板」(黒い板であった)と綽名された。
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市村羽左衛門の疑問と軽焼(都新聞芸能逸話集)

 歌舞伎は嘘だらけの芸術である。舞台の誇張とはいえ、武器や道具が大きくなったり小さくなったりする。これを演出の一環として楽しむか、馬鹿々々しいと唾棄すべきかで歌舞伎の楽しみ方が変わってくる。羽左衛門が太功記で考えた逸話である。
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歌舞伎界随一の富豪は?(都新聞芸能逸話集)

「歌舞伎界随一の富豪は? - 都新聞芸能逸話集及びその周辺 」歌舞伎界の富豪というと高給取りで知られた中村歌右衛門と、やりくり上手だった二代目市川左團次が思い浮かべるようであるが、副収入という意味では市川九蔵――後の市川団蔵が一時期トップだったという。
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なぜ落語家の芸名には犬の字がないのか(都新聞芸能逸話集)

「なぜ落語家の芸名には犬の字がないのか - 都新聞芸能逸話集及びその周辺」ここで出てくる圓生・圓蔵親子とは、名人として謳われた五代目圓生とこれまた名人として知られる六代目圓生である。シカとは、「噺家」を洒落て言ったものである。ちなみに落語協会のキャラクターは鹿である。古くから落語家を鹿に見立てるのは多い。