国木田独歩が長編小説を書かなかったわけ

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国木田独歩が長編小説を書かなかったわけ

 国木田独歩の作品は短編がほとんどである。『武蔵野』あたりは中編かもしれないが、それでも短い方である。
 友人であった岡落葉によると、独歩が短編小説ばかり書いたのには、独歩の気質と考えがあったという。
 曰く、「おれ(独歩)は、長ったらしい事が嫌いだ。五年経過するにしても、人ならその間の経過を十枚くらい書くか知らんが、俺はそんな事はしない。五年経過せり、って十分だ。これなら一行で済むからね」。
 さらに、根が詩人だったせいか、「散文といいながらも結局詩的になるところにも独歩の特徴があった」と落葉は分析している。
 そういう考えからか、新聞の長編連載や大河小説をひどく嫌っており、中でも尾崎紅葉を非常に軽蔑していたという。
 独歩は人に会うたびに、「紅葉って野郎は江戸時代の残物だ」といっていたというのだから、なかなか痛烈である。

岡落葉『独歩を語る』

 作家には長編向きと短編向きというタイプがあるようだが(無論その中間のオールマイティ型もいるが)、独歩は間違いなく「短編作家」であろう。

 その作品の殆どが短編小説である点を見ても、その徹底ぶりがうかがえる。一番長く続いた連載が自分の日常を書き綴った日記『欺かざるの記』という事を考えても、本当に短編しか書く気がなかったのだろう。

 また、独歩は稀代の遅筆屋で、原稿を落としたり、期間延長的な事を言って衝突する事が度々あったそうなので、定期的にストーリーを掲載していく長編小説がそもそも無理だったのではないだろうか。

 そんな独歩の性格をよく表した逸話である。

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