引越しよりも鯉や鮒の飼育が楽しみな仁左衛門(都新聞芸能逸話集)

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引越しよりも鯉や鮒の飼育が楽しみな仁左衛門

我當、十四日に先代仁左衛門時代からの明舟町の家を引払つて下高輪へ引越したが、今までの家は普請に金をかけてあり、柱や壁を大事がればそれだけ八ツを頭に五人の子供を叱ることが多く、それでは子供をいぢけさせるばかりと、親心から五百坪も広のある家へ移つたんださうだが、池に鯉や鮒を飼ふんだと張り切ってるのは子供より当人

1939年3月19日号

 ここでの我當とは、昭和から平成にかけて活躍した名人・13代目仁左衛門の事である。義太夫狂言と深い解釈のある演技と芸談で晩年「神品」とうたわれるほどの人気を集めた。

 この頃はまだ結婚して間もない頃で、長女を筆頭に次女、秀公(今の我當)など子供に恵まれた頃であった。

 一方、父の十一代目と死に別れ、俳優としてはいささか迷走していた時期であった。本領を発揮するまでにはまだまだ時間が必要であったのはいうまでもない。

 晩年の姿だけ見ていると紳士然とした老人であるが、若い頃はなかなか才気煥発でともすれば生意気にも見える人物であった。

 そのくせ、子供っぽい所もあり、新しいおもちゃを買って子供より夢中になったり、動物が好きだったり、と逸話も多い。

 なお、下高輪の家は1年足らずで処分し、仁左衛門一家は京都へ引っ越した。後年、京都嵐山に家を建て、これを終の棲家とした。

 そんな仁左衛門が下高輪にいたという貴重な資料である。

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