柳家権太楼と電話の主(都新聞芸能逸話集)

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柳家権太楼と電話の主

★艶めかしい声
権太楼と一緒に皇軍慰問に行つて来たピアニスト鳥本徳治の地声はまるで女そつくり、これが此間権太郎の家へ誘ひ出しの電話をかけると権太楼の妻君、カフエーかなんかの女とすつかり勘違ひして、唯今留守ですよと剣もホロロの挨拶、爾今細君のご機嫌がひどく悪いので、権さん、鳥本に、君イ、いつぺん家へ来て家内の前で声を聞かせてやつてやれ給へよ

1940年4月15日号

 柳家権太楼は戦前の落語界の大スターであった。一時期は爆笑王の柳家金語楼と人気を競っていたほどである。

 上に「慰問に出た」とあるがこれは本当。「陸恤庶發第五七號 船舶便乗ニ關スル件申請」(1940年1月27日)という記事に日程と同行者が書いてある。曰く、

一、往航 昭和十五年二月六日神戸出帆廣東行 
二、復航 同四月上旬廣東出帆神戸行

落 語     柳家権太楼  北村市兵衛 四一才 
浪 曲      東家三燕  松本源太郎 三八才
・三味線   鈴之家八千代  鈴本ハル子 三〇才
・俗曲と     坂東多見  篠原キヨ子 三〇才
・日本舞踊   西川扇枝女  中島渡子  二二才
西洋舞踊     黒田?子  山田ふみ子 二二才
アコーデオン獨奏 鳥元徳治  鳥元徳治  二五才
落語漫藝     柳家語樂 梅津松太郎  四〇才

 上の記事は、その慰問から帰って来たばかりの記事として貴重である。

 一時は人気あった権太楼であるが、戦時中得意の爆笑落語が睨まれるようになり、人気も振るわなくなった。また、女遊びが激しかった事と、夫婦の相性が良くなかった事もあって、戦後は前妻から訴えられ、後妻にも逃げられるという悲劇的な事案に見舞われた。

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