天才・坂本紅蓮洞の嫌味

[random_button label=”他の「ハナシ」を探す” size=”l” color=”indigo”]

天才・坂本紅蓮洞の嫌味

  坂本紅蓮洞は慶応大学の出身で、同期には福沢諭吉の婿養子になった福沢桃介を筆頭に、多くの財界人がいたという。そんな日本をしょって立った財界人や政治家よりも若い頃は頭がよく、教員たちからも注目を浴びていたというのだから、相当に頭が良かったのだろう。
 ある時、慶應の後輩で、財界人で作家の水上滝太郎(日本初の生命保険株式会社、明治生命保険の創業者・阿部泰蔵の息子でもある)とともに、慶応大学絡みの会に出た。
 そこで、彼は仲間をつかまえては、
「お前何している?」
 と片っ端から聞く。多くが会社勤めと知ると、
「外交員か」
 とあざ笑う。相手が「重役」「社長」と返事をすると目を丸くしたというのだから、色々と性格に問題がある。
 後日、水上滝太郎にむかって、
「あいつは頭の悪い奴だったが、あんな奴でも会社ってのは勤まるんだな、おい」
 と皮肉を浴びせた。水上滝太郎が辟易したのは言うまでもない。

水上滝太郎『貝殻追放第二』

 坂本紅蓮洞は明治大正を代表する奇人であった。天才的な才覚を有しながらも、自堕落な性格と毒舌によって、身を滅ぼした点においては、石川啄木などと並ぶであろう。

 若い頃は天才と謳われ、数学の分野においては教員たちが注目する程の人物であったという。福澤諭吉の薫陶を受け、後年忖度なしの罵倒で知られた坂本も、諭吉だけは「福澤先生」と先生付けで無条件に尊敬をしていた。

 天才である一方、相当な遊び人で奇人であったことから、落第や衝突を繰り返し、天才的な才能を持てあましてしまう事となった。

 最終的には記者になり、文士たちと交友する事になるが、天才的な発想からくる毒舌や容赦ない罵倒で、多くの文人を敵に回した。

 与謝野鉄幹・晶子夫妻、水上滝太郎、久保田万太郎長谷川時雨などが手を貸しても、最終的には無下にされるため、距離を置かれるのも無理はなかった。

 文才の方でも不思議な穿ちと愛嬌と観察眼があったのにもかかわらず、最終的に売り出せなかったのはそういう人徳の問題もあったようだ。

 そんな坂本の強烈な個性と高慢ぶりを示した逸話である。

[random_button label=”他の「ハナシ」を探す” size=”l” color=”lime”]

コメント

タイトルとURLをコピーしました