どうして漱石はトイレから出られなくなったのか?

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どうして漱石はトイレから出られなくなったのか?

ホトトギス厠半ばを出かねたり

 という句がある。かの文豪、夏目漱石の一句であるが、これを見てこの句の本当の意味がピンっとくる人はなかなか博学ではないだろうか。

 厠とはトイレの事。直訳すれば「トイレの中でホトトギスの声を聞いてしまったので出るに出られなくなった」。

 こう書いては見たもののなんでトイレでホトトギスの声を聞いたら出られなくなるのか。ゴキブリやらハチ、蛇なら理屈としてわかるがホトトギスは毒もないし、見た目も普通の鳥である。

 この句が読まれたのは、明治四十年のこと。時の有力者であった西園寺公望が、当時の文士や文化人たちを招いて宴会をやる計画を立てた。

 その中に漱石の名もあげられ、彼のもとに招待状がとどいた。しかし、西園寺公望の事をよく思っていなかった漱石は、上の一句を書いて拒絶したのであった。

 しかし、随分と遠回しな言い方をしたもの――この句を読み解くには「ホトトギス」の凶兆という意味を知らなければならない。

 ホトトギスという鳥は、その情熱的な鳴き声から、「人を殺したものが鳥に変じたもの」「八千夜、泣いて血を吐くホトトギス」などと悪いイメージがつけられてきた。肺から血を吐いて苦しむ結核患者を揶揄して「ホトトギス」などと言われた時期もあったという。

 そんなホトトギスの凶兆は、トイレの方にも伝わり、「ホトトギスの声を聞くと悪いことがある」という伝説がまことしやかに伝えられてきたのであった。元々は中国から伝来した伝説だという。

 そのくせ、中国のトイレの神様の名前は「郭登」といい、ホトトギスの表記「郭公」とほぼ同一と云う皮肉がある。一説には「がんばり入道ホトトギス」と唱えると妖怪に合わないなどとも言う。よくわからない鳥である。

 では万が一ホトトギスの声を聞いてしまった場合、どうすればよいのだろうか。

 手軽にできる手段では犬の真似をして鳴き声を上げると厄がおちるという。

 また、江戸の随筆『夏山雑談』の中には「時鳥の初音を厠できけば禍あり。芋畑にてきけば福あり。」とある。

 貴族や上流身分の家では「芋畑に模した芋の鉢」をトイレの中に仕込んでいて、いつホトトギスが啼かれてもいいように身構えていたというのだからおかしい。

 ただ、ホトトギスの初音と芋をぶつけた場合、どちらが強いのか気になるところ。陰と陽が混じり合って、消滅などしなければいいが。

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