サイダーが喧嘩の元? 内田百閒と赤木桁平

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サイダーが喧嘩の元? 内田百閒と赤木桁平

赤木桁平は漱石門下の軍事評論家という特異な立ち位置の人であった。
リベラルそろいの漱石門下の中で、率先して開戦論や戦争賛美を展開したため、戦後は戦犯として責任を追及されたのが気の毒であった。またなかなかに血の気の荒い性格で、若い頃は『『遊蕩文学』の撲滅』などという論説で文学者たちを切り捨てて大論争を起こすなど、文学方面でも相当の喧嘩屋であった。
 そんな赤木が高等学校時代、郷里岡山のよしみから、知人のA氏に先輩の内田百閒を紹介してもらい、百閒と出会った。百閒相手に雑談をする事となったが、その時百閒がお茶代わりに出したのが、サイダーであった。
 赤木は雄弁家で、サイダーを飲んではこれを喋ろうとするため、変な風に喉がなり、「んん、ああ」と連発する。気になった百閒は、後でAに「これが気になった」というと、Aは意地が悪い男で、「内田君がお前がサイダー呑んで喉を鳴らしていたと言っていた」と伝えてしまった。
 気性の荒い赤木は愚弄されたものと思い、憤慨。この恨みをずっと持っていたという。
 そして数年後、上京した彼は鈴木三重吉の家に逗留をした。百閒は、何も知らずに漱石家で行われる木曜会に出席すると、突然鈴木三重吉から叱り飛ばされた。
「君は実にけしからん事を言う人だ。客にサイダーを出した後で、喉を鳴らしてうまそうに飲んだなどと陰口を叩くのはけしからん。そういうことはいうものじゃない。赤木が怒っているのは当たり前だ」
 百閒は、突如の話に目を白黒させながらも、己の失言を悟ると同時に、余りにも長い時間がかかったので、閉口をしてしまった。
 相当にA氏に恨みがあったと見えて、「A君の悪戯が災の根である」と嫌味を書いている。

内田百閒『鈴木三重吉氏の事』

赤木桁平を語るとなると、これ以上難しい人物もいない。戦犯といえば、戦犯。優れた文芸評論家といえば、評論家。漱石門下の一人といえば、漱石門下の一人である。

 なお、内田百閒によると、赤木桁平は、鈴木三重吉をひどく尊敬していたそうで、三重吉も何かと慕ってくれるこの後輩をかわいがった。

 内田百閒から見れば、嫌な先輩となかなか油断ならない後輩で最悪なコンボだったかもしれないが。

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