内田百閒流「蘭陵王」

[random_button label=”他の「ハナシ」を探す” size=”l” color=”indigo”]

内田百閒流「蘭陵王」

 エッセイストとして知られる内田百閒は長らく法政大学に勤務していた。
 在勤中、雅楽の関係者を招いて『舞楽の会』が行われた。その中の「蘭陵王」の舞楽を見て、その歌や踊りの手を大変気に入ってしまった。それからというものこっそりとその真似をするようになった。
 あるとき、仲間たちとどんちゃん騒ぎしたあとの見送りで外に出たが、その足取りが蘭陵王の踊りにそっくりで仲間を笑わせた。
 興に乗った内田百閒、その足取りで電車通りまで出た。そこへ運悪く電車が来た。

 普通の人なら逃げ出すものを、内田百閒は線路の上で平然と踊り通した。
 電車は急停止し、車掌が首を出して怒鳴り込んで来た時には、既に内田百閒はスタスタ向こう側へと渡っていった後だった。

 森田たま『舊跡合羽坂』

 内田百閒は、日本文学きっての名随筆家。そして不思議な小説を書く作家でもある。

 小説家としては師匠の夏目漱石や親友の芥川龍之介の人気や名声を遂に越えられなかったけども、億劫やわがままを元にした自由自在の随筆やそれに近い作品で爆発的な人気を得た珍しい人である。

 嵐山光三郎の論ではなけれども、「わがままな自分をあるがままに書く事によって、自分が自分のわがままを批判している。そこに苦くて濃いユーモアが出る」という、不思議な愛嬌と哀愁を漂わせる随筆群には、今なお、愛読者が多数。

 読んだ事ある人もいるんじゃないだろうか。

 そんな百閒、随筆がわがままなら、私生活は一層わがままで、本当に偏屈で押し通したような奇人。不愛想で堕落的でありながら、どこか見捨てられない愛嬌や一本気がある――そうした性質もまた、愛される由縁たるではないではないだろうか。

 上の逸話は、そんな百閒の鋭い感性とわがままぶりを見事に現していると言える。

 記録者の森田たまは、内田百閒の兄弟弟子である森田草平の妻であり、百閒の借金やらわがままに振り回された。そんな彼女が忖度なしで書くから、なお面白い。

[random_button label=”他の「ハナシ」を探す” size=”l” color=”lime”]

コメント

タイトルとURLをコピーしました