陰気で困る広津柳浪

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陰気で困る広津柳浪

 明治時代、陰惨小説で一世を風靡した広津柳浪は、その小説や作風通り、陰気で怒りっぽい性格であった。
 博文館の社長、大橋佐平に向かって「近頃は……」と臆することなく、愚痴や不満を零しまくるのだから、それだけでも凄さがうかがえる。
 陰気ゆえにあまり人に好かれなかったそうで、そうした経緯がますます性格を内向的にさせ、最終的には家族だけを溺愛し、世俗とのかかわりを断ってしまう――という形になってしまった。
 そうした陰気な事例を、広津と付き合いのあった面子が座談会で暴露している。

千葉亀雄 柳浪を一つ……。
江見水蔭 まじめな人で、洒落を解しない。また解するのを厭がる。いわゆる硯友社風とは、まるで合わなかった。
登張竹風 陰気な人でしたね。
江見水蔭 実にそうで、われわれが八笑人(※幕末から明治にかけて大流行した洒落本のタイトル。八人の奇人が出てくる)なら、隠居の杢右衛門だというので、杢右衛門と称した。杢右衛門が来た来たなどといった。
長谷川天渓 原稿を書くのに、雨戸を締めて書く。暗いところにいるのが好きだという人だった。

『文芸春秋』(昭和九年十月号)掲載『物故文人を忍ぶ座談会』

『今戸心中』『雨』『黒蜥蜴』などで、人間の暗部、劣情や貧苦を徹底的に描き出した広津柳浪。

 出身が、九州の士族で、自身も官僚出身だったせいか、性格は兎に角真面目で陰気であったという。今日の某漫画やアニメでは、「冷静沈着で、嫌味も言うが、一応の融通の利くヴィラン紳士」みたいな描かれ方をされているが、そんな人物像とは全く違う人間であった(これだけみても、作者や関係者がいくら薄っぺらい素養や見識がないかわかる)

 一方で、家族には優しく、悩める青年として思春期を送った広津和郎にとっては、この上ない良き相談相手であったという。

 そんな広津柳浪の暗い一面を伺わせる逸話。

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