酒が飲めなくなった元酒豪の阪東寿三郎(都新聞芸能逸話集)

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酒が飲めなくなった元酒豪の阪東寿三郎

その昔、酒量では東西通じてその豪を謳はれた寿三郎も、去年胃腸をやってからは禁酒を強られてゐるが、今度の東上で客に招かれた時など訳を話してもなか/\肯き入れられず、中には往年、当時の大錦を始め、七人の力士を向ふに廻してコップ酒を呷り、遂にヒケを取らなかつたといふ飛んだ歴史まで持出されて、まア一ぱい位、と攻め立てられるので、このところ寿三郎、心なしの胃腸を恨むこと頻り

1935年2月12日号

 阪東寿三郎は関西歌舞伎の大御所で、初代鴈治郎亡き後、実川延若、市川寿海と共に関西歌舞伎の継承を担った。

 関西出身にしては非常にあっさりした理知的な芸風で、「古典より新作」に定評のある役者であった。その関係から市川寿海と相性がよく、「双寿」と綽名された。

 ここで出てくる大錦とは、戦前の名横綱で「頭の相撲」と評された頭脳派の大錦卯一郎である。もっとも、大錦は率先して酒を飲んだわけではないので、眉唾な所ではある。

 余談も余談だが、阪東寿三郎の先妻は市川右団次の娘であった。その関係から右団次の遺児や遺孫(今の市川斎入)を預かっていた事がある。

 千田是也の妹という伊藤愛子は、晩年に再婚した年の差カップルであった。

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