狐の方が上品な顔をしていた岡本かの子

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狐の方が上品な顔をしていた岡本かの子

 戦前から戦中にかけて華々しい文体と世界観で一世を風靡した岡本かの子。
 大富豪の令嬢に生れ、人気漫画家、岡本一平を亭主に持ったことから、その生涯は凄まじく放蕩的で、よくも悪くもお嬢様気質で過ごした。
 しかし、そんなお高く止まる岡本かの子の存在を良しとしない作家たちも多く、それは男性作家だけでなし、女流作家たちからも忌避の目で見られていた。
 特に、壷井栄、平林たい子などといった左派的な文学者からは、ブルジョア的な意味も含めて、だかつの如くに嫌われた。
 平林たい子の嫌味は特にすごく、岡本かの子亡き後、当時の人気タレント・徳川夢声に向かって、

「いつか歌舞伎座で岡本さんを見かけた時はね、大江山の酒呑童子みたいな顔をして、大きな狐の襟巻をしてる。狐のほうがよっぽど上品で貴族的な顔をしてましたがね。」

『問答有用』より

 岡本かの子は、岡本一平の妻で、世界のオカモトこと岡本太郎の母親である。

 川端康成や谷崎潤一郎を私淑し、濃厚で鋭い官能的な私小説を得意とした。女流文学の一人として今なお語り継がれる。

 しかし、その艶やかな文体や作品と裏腹に、岡本かの子ほど嫌われた作家も珍しかった。高慢で女王様気質で、芸術家肌でそのくせ打算的。

 谷崎潤一郎を私淑しながら、谷崎当人は「あんな不気味な奴はいない」と岡本かの子の風貌から嫌っていたという。また一平のアイディアで袖の下を送った事なども、一層の嫌悪の対象となった。

 そんな高慢に拍車をかけたのが、岡本一平や愛人たちのせいでもあるという。かの子は、一平と結婚しながら、一平を愛しきれず、若い男を何人も家に連れ込んでは、一平許可の下、複数の愛人に囲まれて暮らすという特異な生活を送った。

 一平をはじめ、関係者は「かの子は悪くない」というものだからますます冗長する。

 一方、どれだけ嫌味や文句を言われても平然とできて、いつまでも令嬢然と出来たのがかの子最大の強みだったのかもしれない。

 そんな事を含めて、平林たい子の嫌味を味わい直すと、そこには高慢ながらも哀しい人気作家の姿が浮かび上がる。

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