カラス天狗の海水浴を見た吉右衛門(都新聞芸能逸話集)

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カラス天狗の海水浴を見た吉右衛門

海の烏天狗
市村座の盛綱先陣の波布へはいるのが十五六人皆々マスクをかけてゐるので幕になつて一度に顔を出したのを吉右衛門が見て、失笑てまるで烏天狗の海水浴だね

1921年1月12日号

 1921年正月の市村座では、市村座連中と仲が良かった岡村柿紅の新作「盛綱先陣」が書き下ろされ、上演される事となった。

 これは盛綱が実際に戦った「藤戸の戦い」から生まれた伝説「藤戸渡り」から着想を得たもの。古くから盛綱の藤戸渡りは知られており、能楽の「藤戸」や昔話の「笹無山」などはここから出たもの。

 内容は作品によって差異があるが、大体は――「平家の陣地を奇襲する考えを立てた佐々木盛綱は地元に住む若い漁師に声をかけて、浅瀬ができる場所を聞き出し、案内させる。これにより平家を奇襲する計画は立ったが、密告を恐れた盛綱はこの漁師を殺してしまう」というもの。

 昔話では、息子の無実の死を知った老婆が「佐々木憎し、ササキがなければ」と発狂し、山に入って笹を全て狩りつくして死んだ。その霊が今なお残り、岡山県倉敷市の笹無山では笹が生えない――という地元の説明になっている。

 一方、「藤戸」では、盛綱が怒り狂う漁師の母の前で懺悔をし、回向をする事で悪霊となった漁師を成仏させる――という怨霊物として扱われる。

 この作品はどうも「藤戸」からとられたようで、立派な武将になった盛綱の前に漁師の母と妻が現れる。盛綱は藤戸渡りの様子を物語り、二人に懺悔をする――という筋だったらしい。小説家の徳田秋声はこれを面白がっているが、劇評自体は何とも言えない感じである。

 浅瀬を渡る表現で、歌舞伎では浪布と呼ばれるものが使われる。中に人が入り、如何にも波が起きているように動かすもの。

 当然、中に入っているのは波色の服を着た黒衣である。それがみんな一様にマスクをつけているので、カラス天狗に見えたのだろう、という見立て落ち。

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