喧嘩の文句もメモの内 沼波瓊音

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喧嘩の文句もメモの内 沼波瓊音

 沼波瓊音は天才的なひらめきや直感で物事を論じる事が多く、一部の学生や学者からは「組織がない、体系がない」と揶揄される事があった。
 そんな陰口している教え子がいる事を知った沼波瓊音、教壇に立つなり
「僕の講義に組織がないと陰口を叩く人があるそうだが、もしそう思うならなぜ直接そういわぬのか。陰口をいうとは卑怯千万だ」
と叱りつけておいて平然と
「ではその組織のない講義をはじめます」
と言い放った。
 そのくせ、変なところでは潔癖で文章頼りな所もあったという。未亡人いわく「亭主は叱るセリフや文句を予めノートに書いてあった」。

伊藤正雄『近世日本文学管見』

  今日では声優の「沼波輝枝」の父という形で論じられる沼波瓊音であるが、戦前は俳句研究の第一人者として、多くの本を執筆し、俳諧史を名門校で講義しまくった一流の人物であった。

 俳句や国学の知識は確かであったが、自ら「瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が大好きなので、瓊音(ケイオン)」と名付けるほど、なかなかに豪胆な国粋主義的な人物であった。

 特に晩年は「宇宙とは何か」「国家とは何か」という難題で精神を病み、一時療養をせざるを得ないほどであったという――が、そういう人物だけに、我は強く、卑劣な事の許せない、一本気な所があったという。

 もっとも当時はそれが常識的な一面があり、沼波なりの精神安定や修養の為になっていたと考えると、単に「右翼」と論じるのもどうかと思うが――

 そんな沼波瓊音の一本気な性格を伺わせる見事なエピソードである。

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