省略版の「桜丸切腹」は国技館の菊人形(都新聞芸能逸話集)

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省略版の「桜丸切腹」は国技館の菊人形

鴈治郎追善劇に出てゐる大阪歌舞伎座の「佐田村」も時節の都合でカットに次ぐカット、登場人物大面食らひだが、何しろ幕が開くと、先づ浅葱幕、それを振り落すと梅王丸と松王丸が俵を持って大見得を切つてゐるといふ新演出、つまり兄弟喧嘩を幕開きに繰上げたのだが、左升がこれを見てびっくりし、これはまるで国技館の菊人形でございますネ

1941年2月13日号

 日中戦争激化以来、「お国の為」「無駄の削減」という名目で、様々な所で統制が行われるようになったのは日本史などにある通りであろう。

 歌舞伎も例外ではなく、上演時間の短縮やカットが勧められた。この上演時間の切りつめは、古典歌舞伎の味わいを損ねる羽目になり、幹部からは「いくらお国の為でも、こんな無残なカットをされては困る」と嘆かれる程であった。

 事実、『仮名手本忠臣蔵』の五段目が省略されたり、七段目の由良之助の遊びや平右衛門の出が一切省かれて、手紙を読むところから始まったり――と先人が見たら嘆きそうなものばかりであった。

 この「佐田村」も例外ではなく、無残にもカットされた。本来は菅相丞の家来であった白太夫が古希の祝をするというので、近くの住民にその旨を伝える「茶筅酒」、白太夫が近所の社へ参拝に行き、その間に松王丸と梅王丸がやって来る下り、梅王と松王が憎まれ口を叩き合い、女房の制止を振り切ってけんかをする「喧嘩場」としっかり前の場がある。

 それをすべてカットというのだから、役者たちも困惑したに違いない。

 ここで呆れている市川左升は、初代左團次の弟子で、二代目左團次の乳母役というべき古風な役者であった。故実に詳しく左團次劇団の知恵袋的存在であった。古い時代の歌舞伎を知っている彼から見れば、いきなり型から入るカットなど、菊人形の如き代物に見えた――という次第である。

 左升の「菊人形のようだ」という嘆きが、戦争や統制でカットされる歌舞伎の悲哀を一層に感じさせることよ。

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