嫌い嫌いづくしの鈴木三重吉

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嫌い嫌いづくしの鈴木三重吉

 児童文学者として、『赤い鳥』の主宰者として知られた鈴木三重吉は、優しく可愛らしい童話や童謡の作品とは裏腹に、大変な好き嫌いの激しい性格で、漱石門下随一の問題児であった。
 その気性の激しさは自分でも任じており、随筆などでもいかんなく発揮した。
 一例をあげると、有名どころの花が嫌い。それもそんじょそこらの嫌いではなく、見るのも嫌だ、字を書くだけでゾッとするというのだから相当な物。書きたくない故に、その字を避けるほどの徹底ぶりであった。
 そのわがままぶりに関係者があきれ果てたのは言うまでもない。
 三重吉曰く、

「僕の文章がねちねちしたものになるのは、嫌いな字形を避けることから起こっているが、字形でなくて、その字の現すものそれ自体が嫌な事も多い」
「例えば梅などは、一遍も創作に出したことがない。梅そのものが因習的な連想を帯びているようで嫌いなのである。如何に価値があるとはいえ、梅が嫌いなので、装丁や表紙には絶対に使わせない。それで津田(※津田青楓。漱石門下の画家)と喧嘩した。」
「松も嫌い。松という字を書くと、曲がりくねった盆栽の嫌味を連想する。」
「桜は何となく好かぬ上、字体も大嫌いである。よく人が春の描写で桜を使うが、なんと無感覚な奴だと思う。いつか、本を出したときに、津田が鼠色の地に桜の絵を描いてくれたが、拒絶をして喧嘩になった。更に『大和魂を力説した絵が欲しい』といって、津田を困り果てさせた」

 自覚があるだけ、潔いというか、困ったというか。

鈴木三重吉『私の癖』

 鈴木三重吉は、児童文学の大御所として、今なお伝わる童謡や童話の作家としてよく知られている。

 また主宰をした児童雑誌『赤い鳥』は今や教科書で取り上げられるほどの偉業である。知っている人も多いのではないだろうか。

 『赤い鳥』ではロマンチックで可愛らしい作品や童謡を執筆、多くの少年少女に夢を与え、子供たちに文学の芽を与えた人――と評価される。

 しかし、その素顔は凄まじい酒乱で偏屈な問題児で、その言動や酒乱ぶりは師匠の漱石も手を焼くほどであった。

 酒が原因で弟子と喧嘩し、盟友であった北原白秋と絶縁するに至っているので、相当なクセモノである。嵐山光三郎氏は「飲んでは荒れる赤い鳥」と揶揄していたが、なるほどうまい洒落。

 そんな鈴木三重吉の偏屈ぶりを示した逸話である。

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