校正係よりも自分の方がよくわかっている森鴎外
森鷗外は潔癖な人で、とにかく推敲を繰り返し校正係から文句が出ないように、その補足さえ書いておく程の推敲屋であった。
『読売新聞』(1909年4月4日号)
ある時、博文館から「一幕物」なる脚本集を出す事になった。鷗外気を入れて推敲をして、きちんと補足まで入れて原稿を送ったところ、おせっかいな校正係が「ここが違う、これが違う」と鷗外が意図的に変えた表記や言葉使いに朱を入れまくった。
これには鷗外もカチンときて、すぐさま博文館に電話をかけた。
「もう君のところではやらせん!」
関係者は飛び上がって謝罪しに行ったり、話を聞いたり。なんとかして出来上がった時には皆ヘロヘロであったという。
森鴎外は、非常に頭のいい人で、日本語は無論、漢籍、英語、ドイツ語などにも通じており、それを自由自在に使い分ける所に、彼の真骨頂があった。
言葉や用語のうまさ故に、出世できたという一面もあるだろう。弁説が上手かったというのもこういう語彙力の豊富さに起因しているのかもしれない。
それだけに語彙の表現や言葉遣いには人一倍の自信を持っていた。
下手な学者よりも余程物事を知っていて、難しい外国語や漢詩の一節をスラスラとそらんじられたというのだから、そのくらいのプライドを持つのは当然だったのかもしれない。
そうした考えを持っているだけに、誤植や誤用などはもってのほかであった。文体や言葉に対する考えや態度は、「病的」とまでいわれた泉鏡花を畏怖させるほど強固であったというのだからすごい。
当然、漢籍や語学をそらんじているだけに、その文体や人物にあった言葉や話を当てはめようとする。それを何も知らない校閲に「ここが違う」などと的外れな批判をされるのは、鴎外にとって何よりも屈辱だった事であろう。
彼が電話を持って、博文館にクレームを入れたのは、鴎外なりの最大の怒りの示し方だった……のかもしれない。
他の「ハナシ」を探す
コメント