クマとりの本場は北海道(都新聞芸能逸話集)

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クマとりの本場は北海道

北海道のさる客筋から訥子のところへ、少し必要があるので、恐縮ながら「車引」の梅王、松王、桜丸及び時平公のクマを書いて教へてもらひたい、と云ふ依頼があつたので訥子、早速、隈取りの本を出して、それをお手本に半紙に一枚々々書きながら、クマトリなら北海道の方が本場だらうに

1935年1月24日号

 ここでいう訥子は「傳ちゃん」の綽名で浅草の女性子供に慕われた「伝次郎訥子」、八代目訥子である。七代目訥子の息子、小伝次の弟子から七代目の娘婿となり、義父の後を継いだ。

 若い頃は二枚目の風貌と猛優二世と謳われるほどのアクロバットな演技を得意としたが、訥子襲名後は二代目市川左團次一座の中堅におさまり、穏健な芸風になった。

 非常にまじめで何でもこなせる達者な人物であったが、左團次亡き後は不遇で思うような活動ができないまま、関西歌舞伎に流れた。そこで一応の地位を得たものの、往年のような覇気は薄れ、人知れず引退し、亡くなった。

 この頃は左團次一座の主力としてブイブイ言っていた頃であろう。この訥子、猛優に似合わず書道と絵画が趣味で、歌舞伎界でも随一の名筆家と知られていた。

 なお、頼まれた隈は、菅原伝授手習鑑に出てくる「車引」の三兄弟のもの。簡潔な舞台と明瞭な構成から素人芝居でもよく演じられた。

 そんな隈の見本を記しながら「クマの本場は北海道」とはうまいことうまいこと。

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