ああ自分達が客になりたい
芝の恵智十を会場にして毎月一回づつ創作落語爆笑会といふのが開かれてゐる、主事はユーモア作家の正岡蓉クンで、毎回賛助講演として文士や画家が出演して高座でお喋舌りをしてゐるが、そこは素人の悲さで講演時間に見当がつかず、いゝ心持ちで喋舌り出すと予定時間の倍も三倍も喋舌り続けるので時間がおそくなり、毎回落語家が一人二人位は高座へ上れなくなるので橘の百円が「此次の会からは文士連に喋舌つて貰つて、俺達は聞き手に廻らう」
1934年2月17日号
正岡容は落語や浪曲の台本作家、研究家として知られた人物である。自身が落語修業をやっていた事もあって、芸人と仲が良く、何かと面倒を見ていた。
この創作落語爆笑会というのも、正岡が「新しい落語を作って発表しよう」という旨で設立されたもので、当時の若手・中堅が集った。
橘の百円(後の橘家圓太郎)桂米丸(後の古今亭今輔)、柳家富士朗、柳家蝠丸、鈴々舎馬風、春風亭柳条(後の柳亭燕路)、桂文都(後の土橋亭里う馬)あたりがメンバーとして出入りをしていたようである。
戦後、古今亭今輔と鈴々舎馬風は新作落語の名手として名をはせる事となる。
一方、正岡は文学からスタートした事もあってか、文学者や画家とも一応の交際や面識を持っていた。ただ、余りにも酷い酒癖と奇人の振舞いから、文学界では余りいい目で見られていなかったというのだからおかしい。
そのため、付き合う作家となると伊藤晴雨だの古川ロッパだのとちょっと癖のある人々が多かった。
さらに、正岡は喋り出すと止まらなくなってしまうという芸人にはあるまじきクセがあった。話し始めたら最後、唾を飛ばしまくる大熱演をやるというのだからありがた迷惑である。
これでついたあだ名が「類人猿・イルルルルル」とはうまい。
他の「ハナシ」を探す
コメント