スキー大好き坂東蓑助
最初は単身で草津へ行つたが、今度は多勢で湯沢へ押出し、アザヤカなスキー振りを披露した簑助に、同行者達が成程、先達手の君の処女行の報告は嘘じゃなかつたんだネ、と敬意を表すると、彼、チヨイと反つて、矢ツ張り舞踊の素地があるものは違ふネ
1935年3月1日号
ここでいう坂東蓑助は、後の八代目坂東三津五郎である。
晩年は歌舞伎界随一の物識りとして、資料調査や骨董、芸談の執筆など、渋い趣味に走った彼であるが若い頃はなかなか前衛で、西洋演劇を取入れようとしたり、体操術や器械体操を学んだり、スポーツやカフェー通いに凝ったり、とモダンボーイで知られていた。
一時期、スキーを趣味にしており、暇さえあれば群馬や長野の山奥へ行って、滑っていたというのだから意外である。
親父の七代目三津五郎はそういうことを一切しない人だったので、蓑助がケガをしないかどうか、ヤンチャにならないかどうか、いつも案じていたというのだから親心というべきか、なんというか。
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