いたずら孫娘を褒めちぎった三津五郎(都新聞芸能逸話集)

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いたずら孫娘を褒めちぎった三津五郎

三つになる簑助の長女、此頃砂糖の壺を座敷へ持出してはブチ撒ける、どうした事かと調べると、おぢいさんの三津五郎が、神様のお砂を撒いたのを見ての真似と判り、三津五郎は眼を細くして、悪戯でもかういふのは決して止めてはいけないよと皆をタシナめ、爾来子供が、壺を持出すと、家中総がかりで、座敷中に新聞紙を敷く事にしたとは、ヤレヤレ

1934年3月11日号

 八代目坂東三津五郎には、喜子、慶子、寿子という三人の娘がいた。この孫娘を七代目三津五郎は溺愛し、息子を勘当した後も(後年許される)、孫娘の事を気にかけていた。ここで紹介されているのは、守田喜子――先年亡くなった十代目坂東三津五郎の母、坂東巳之助の祖母である。

 ちなみに次女の慶子は商社マンに嫁ぎ、池上季実子を授かっている。池上季実子と三津五郎が従兄弟というのはこういう事情からである。

 この頃、三津五郎は金光教などに凝っており、お清めの砂をよく振るっていた。それを真似するのはいいが砂糖をばら撒くとはなかなか大胆な事をしたものである。

 後年、九代目三津五郎の良き伴侶として知られた彼女の知られざる一面。

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