猛優たちの腹切り問答(都新聞芸能逸話集)

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猛優たちの腹切り問答

◆又も腹を切る 又五郎も盲腸炎に罹つて寝てゐるが大分快くなつたので近近手術をするさうだ、先に訥子が同じ病で腹を切つたが又五郎も訥子に負けない猛優、役者が患つた時はいよ/\猛腸炎と字を換なければならぬ

『朝日新聞』(1918年1月31日号)

 今回は朝日新聞からの引用。朝日新聞も『演芸風聞禄』という連載を持っており、結構面白いものを書いていたりする。

 中村又五郎は、「猛優」と綽名された俳優で、少年役者として売り出し、成人後は浅草や小芝居を中心に活躍した。何でもこなす器用な役者として知られ、澤村訥子と共に浅草の顔役であった。

 池波正太郎に愛された人間国宝・二代目中村又五郎は、この又五郎の忘れ形見である。

 上の逸話は前置きが必要である。又五郎の先輩で、同じく「猛優」として知られた澤村訥子という俳優がいた。この訥子は「猛優」と綽名されるように、派手な立ち回りと芸風が売りで、舞台で暴れまくるのが売りだった。

 私生活でも派手なことを好む奇人だったそうで、色々と逸話を残した。その中でも強烈な逸話が「手術事件」というもの。

 盲腸になった訥子、医者から「腹を切らねば治りません」と通告され、「べらぼうめ、舞台ではしょっちゅう腹を切っているんだから俺も麻酔なしでやる」と言い始めて、関係者を驚かせた。舞台のそれと開腹手術は違うもの。医師は部分麻酔でごまかしたが、訥子は痛みのあまりに七転八倒した――というのだからおかしい。

 この逸話を元に又五郎も同じことをするのではないか、と冷やかされている次第である。

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