戦争どころでない中島敦

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戦争どころでない中島敦

 中島敦はなかなか明るい人物で、喘息の持病を忘れてペラペラまくしたてては周りを笑わせていた。
「敦」から「トンさん」とあだ名された。
 昭和六年九月、友人の氷上英広の元にやってきた中島敦、満州事変の話をひとくさりした後で、
「戦争どころではない、悪いが九円貸してくれ」
 と氷上に借金を申し込んだ。氷上は貸したというが、その金は何に使ったか。
 最後まで愛したガールフレンドと結婚するための費用にしたという。

氷上英広 『中島敦の回想から』

 中島敦と氷上英廣は良き盟友同士で、2歳という年の差を気にする事なく水魚の交わりをしていた。

 二人で本を読みあって、面白い作品や作家があると紹介し合う。後年中島敦が公募に出すようになった際、落選や佳作続きで鳴かず飛ばずの彼を慰めたのも、氷上であった。

 基本的に真面目で貧苦にはならなかった中島敦であるが、愛していた橋本タカとの婚約と結婚ではなかなか苦労をし、できちゃった結婚であったともいう。

 その背景には、中島の恋愛癖やタカがまだ若すぎて親類一同の反対があった――と森田誠吾は記している。事実、タカの親類は中島敦の手紙をダシに、中島家に突撃して300円という金を貰った程であった。

 そうした批判の中で、中島敦は恋を貫徹し、橋本タカと結ばれた。そして、夭折するまでの10年間ほど、彼女と幸せな生活を築いた。

 そんな中島敦の若き日の面目を知れる逸話ではないか。

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