軟体生物・佐藤春夫?

文壇逸話帳

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軟体生物・佐藤春夫?

 ある日、佐藤春夫を訪ねた女流作家の森田たま。書斎へ通されたが、春夫は顔をしかめて、黙ってストーブの火を見つめていた。
 何喋ることもなし、どことなく気まずいまま二人でストーブの火を見ていると、春夫はいきなり、
「あなたは人間が軟体生物になる事があるのを知ってますか」
と呟いた。突然の変な質問にたまは狼狽するばかり、
「いいえ」
と答えたものの、「先生のことだから文献や有名な話にあるのではないか」と、考え込んでしまい、ますますパニックになってしまった。
 ダメ元で、
「いいえ」
 と押すように答えると、春夫はニコリともしないで、
「いかにもなりゆく我が身の上
――

森田たま『梅散りかかる葱畑』

 佐藤春夫は大正から戦後にかけて第一線で活躍し続けた文学者・詩人であり、多くの後進を育成した。

 太宰治や稲垣足穂、柴田錬三郎などが師事して、文壇デビューを飾ったのは有名な話であろう。太宰治関係では必ずと言っていい程出てくる存在である。

 「門弟三千人」と謳われたほどの佐藤春夫であったが、若くして脳梗塞で身体が不自由になった上に、兄事する谷崎潤一郎の妻をもらい受けた一件が、スキャンダルとして取り上げられて、ありもせぬデマや誹謗中傷に悩まされた事もあってか、大先生という風格はあまりなく、陰鬱とした隠者の趣が強かったという。

 そんな佐藤春夫の陰鬱とした気質と、独特な言語センスを組み合わせたような、不思議な逸話である。

 この逸話があったころはちょうど、谷崎潤一郎の妻を譲り受けて炎上していた頃であったという。

 佐藤春夫の苦しみや屈託が伝わってくるようだ。

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