岡目八目大好き、陸羯南

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岡目八目大好き、陸羯南

 当事者よりも、傍観者である方が、よりよく今の状況がわかるというのが世の中の常というもの――これを「岡目八目」という。
 単に物分かりがいいだけならいいがついつい「助言や苦言」を呈したくなるのが人情というもので、こういう所から「岡目八目」はやっかみ的な意味でも使われる。
 司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』で有名になったジャーナリストの陸羯南は、まさに悪い方の「岡目八目」の名人であったという。
 陸は、若い頃から囲碁が大好きで、暇さえあれば友人や関係者をつかまえてパチリパチリとやっていた。
 その実力はというと――これが情けないもので、友人相手に百目以上の差をつけられて負けるというのだから、「下手な横好き」の部類であろう。
 そのくせ、岡目八目が大好きでいつも苦言を呈するのだから、困った人である。
 ある時、同窓で友人のジャーナリスト、福本日南が陸羯南の家を訪れた。久々の対面に陸は勝負を申し付けるが、凄まじい惨敗を喫した。
 福本は、陸の囲碁が全然上達していないのを見破り、「君はもう囲碁をやめたまえ」と嫌味を言った。
 すると、陸は平然とした顔で、
「碁はやめてもいいが、助言はやめぬ」
 流石の日南もこれにはあきれたという。

薄田泣菫『茶話』

 陸羯南は、司馬遼太郎の『坂の上の雲』や随筆で再評価された思想家・ジャーナリストである。

 あの辛口な司馬遼太郎にして、「明治後期の代表的な知識人として、もっと研究されていい人物」とまで言わしめたのだから、そのすごさが判る。

 そういう関係からか、『坂の上の雲』ではキーパーソン的な存在として活躍したりしている。

 もっとも、健在時の人気や思想は大したもので、多くの論陣や関係者と一戦を交わしたり、後進を育てた。

 陸羯南によって見出され、一躍不動の地位を得たのが、俳句短歌の第一人者・正岡子規であろう。子規は死ぬ直前まで、陸羯南の新聞社や関係筋から仕事を貰い、結核で朽ちていく身体をなだめながら、数々の随筆や評論を掲載し、不朽の名作を残した。

 小説や研究書を見ると、良くも悪くも偉大な思想家・経営者として描かれたがるが、ここでは、小市民らしい、庶民としての逸話を紹介する事にした。

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