小山内薫?小内山薫?

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小山内薫?小内山薫?

小山内薫は、真面目で一生懸命な人柄であったがどこかとぼけたところがあり、気にしない質も持っていた。
帝国大学英文科を卒業する際に、卒業証書を手渡されたがそこに書かれていたのは

「小内山薫」

 仲間が「直してもらったらいいだろう」というと、小山内薫平然と、「こんな免状がなくっては食っていかれぬようなら、首でもくくって死んでしまうよ」

旋風子『文芸聞語』(『趣味』一九〇七年四月号)

 小山内薫は日本演劇史を語る上で、絶対に欠かせない人物である。

 海外戯曲への独特な解釈や曲解、芸術至上主義を論じ「商業演劇」を批判しながら、商業演劇的手法を用いた強引なやり口、歌舞伎の解釈など、今日では功罪の「罪」も論じられるが、それでも市川左團次や土方与志と組んで、西洋演劇の実演、翻訳、演劇理論の確立といった手法は、決して「罪」だけのものではない。

 市川左團次と組んで、『歌舞伎十八番』の毛抜・鳴神などを復活させた事業は、今なお歌舞伎のドル箱になっているし、土方与志と組んだ「築地小劇場」の存在は、今の演劇界の一流を築くなど、演劇全体の地位向上を担ったのは間違いない。

 そんな小山内薫は、情熱的でなかなかしぶとい人物であったが、そのくせ変にズボラな所のある愛すべき人物であったという。

 多くの演劇家と論争や口論しながらも、遂に憎まれきれなかったのは、こういった愛嬌のある由縁だったのではなかろうか。

 そんな彼の面目を知るいい逸話である事よ。

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