森鴎外ほどの人でも一期一会を逃したりする

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森鴎外ほどの人でも一期一会を逃したりする

 森鴎外は、当時の文士としては異例なほど(その肩書や地位もあったとはいえ)、人脈や交際関係を築いたが、そんな彼でも「一期一会の後悔」はあった。
 残された随筆によると、「尾崎紅葉」「中江兆民」「二葉亭四迷」の三人は、双方名を知り、その仕事ぶりを知っていながらも、たった一度しかあっていない。
 鴎外は、一度の縁を喜ばしく、そして哀しく吐露している。

 尾崎紅葉は、斎藤緑雨・幸田露伴と共に「雲中語」をやっていたときに一度だけやって来た事があった。すでに胃癌を患い、衰弱しかけていた頃であったが、「色の浅黒い好男子」で「どこも病気臭くない」様子だったと回顧している。ただ、既に胃が良くなかったせいか、「菓子の相伴はできない」と断ってきたという。それでも鴎外は、「あってよかった」と記載している。

 中江兆民は、一度食事をおごってもらったことがあり、話し込んだが、なぜか縁がなく、それっきりになったという。中江兆民が喉を病み、自伝「一年有余」が出た際、その命の短さを悟り、行こう行こうと思ったものの、他の来客や関係者の出入りが気にかかり、そうこうしているうちになくなってしまった。
 流石の鴎外もこの不義理には後悔していたという。

 二葉亭四迷は、本名「長谷川辰之助」として付き合ったという。全く面識はなかったが、ある日突然「ゴーリキーの原書を貸してほしい」と手紙できた。鴎外は本を貸すのが「大嫌い」な性分であったそうだが、一面識がないにもかかわらずなぜか貸す気になったという。
 さらに、「舞姫をロシア語に訳して発表したいがいいだろうか」と承諾を求める手紙が来たので、「問題なし」と返答をした。二葉亭四迷は深く感謝をして、掲載雑誌を何冊も送ってきたという。
 ある日、二葉亭四迷が森鴎外の家を訪れてきた。
 普段は居間に通す鴎外であるが、その時ばかりは居間が汚れており、裏庭近くの部屋に通した。
 鴎外は「(その気になれば)ここで私はこの人をどんなにえらくでも、どんなに詰まらなくでもして見せることができる」と息巻いているが、二葉亭もまた立派であったという。
 そこで二人は雑談をしたりした。鴎外は二葉亭の律義さに感心しながらも、「なぜか文学論が出ない」事を不思議に思っていた。
 二葉亭四迷は「近々洋行する」と宣言し、ロシアの話をいくつかしたのち、帰っていった。たった一度の面会であったが、鴎外はこの時の印象や言葉を度々思い出した。そして、新聞や雑誌で二葉亭四迷の死を知り、色々と考えたという。
 しかし、森鴎外は、こんな大切な対面の詳細や日時を、日記に書き落してしまった。鴎外は一生の不覚といわんばかりに「私の日記は私の信用を失ったのである」と自嘲している。

森鴎外『妄人妄語』

 森鴎外は、明治の作家の中でも、軍人・作家として大成功をおさめた人物といっても過言ではなかろう。

 軍医という特殊な地位であったものの、明治天皇や大正天皇に謁見し、山縣有朋や高官たちに信頼され、慶応大学の幹部として、多くの学者や知識人と交際した。

 天皇皇族という不可侵な存在を除けば、ある程度は肩書や職務で無理の通じたであろう森鴎外。

 しかし、富と地位に恵まれた彼でさえも「一期一会の後悔」「会わなかった後悔」をしているのである。

 余談であるが、漫画家・谷口ジローの代表作『「坊っちゃん」の時代 第二部 秋の舞姫』の途中で出てくる二葉亭四迷――

 インド洋を行く船上で、藤の椅子に座って最期の時を迎えようとする二葉亭、目の前にはどこまでも広い海と空が広がり、空には星が出ている。そんな光景を目の当たりにしながら、二葉亭は目を閉じる。そしてその目は二度と開かなかった――

 というシーンは、正に『妄人妄語』の一文をうまく取り入れたといえよう。

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