尾崎紅葉は頼山陽に並ぶ?
尾崎紅葉は代表作『金色夜叉』執筆中に行き詰まってしまい、友人で挿絵作家の武内桂舟の家に身を寄せた。
『唾玉集』
武内は至れり尽くせりで世話をしてくれたが書けたのは半枚、モノになるのは三行だけであった。
武内から「できましたか?」と聞かれ、「いや、たった三行しか書かない」と答えると、武内は笑って、
「えらい。あなたは古今に二人しかいない名文家です。わざわざ私の家に来て三行しかできない。来三行(頼山陽)先生だ」
と冷やかした。
この噂はたちまち広まって、尾崎紅葉は「来三行(らい・さんぎょう)」とあだ名される羽目になった。
尾崎紅葉は、推敲魔で己の文章はおろか、弟子や他人の文章まで徹底的に推敲をするクセを持っていた。
その潔癖な所から、明治文学を代表する名文を生み出したといえようが、一方でその潔癖のあまりに原稿を落としたり、原稿用紙を厚紙のようなサイズにしてしまったり、で随分と関係者を振り回した。
上の逸話などその最たるものであろう。
泉鏡花が、紅葉の前ではすくみ上り、一字一句もおろそかにしなかった、という理由を垣間見る気がする。
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