芥川龍之介の羅生門は鬼の出る話?

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芥川龍之介の羅生門は鬼の出る話?

 1915年秋、『帝国文学』に渾身の短編『羅生門』を発表した芥川龍之介の元に一本の電話がかかってきた。
 相手は大学時代の友人、秦豊吉であった。
「ああ、帝文に出た、あの鬼の話は面白かったよ!」
 これを聞いた芥川、「羅生門が違う」と面食らってしまった。

松岡譲『漱石の印税帖』

 芥川龍之介は言わずと知れた大正昭和を代表する文豪。

『羅生門』は彼の代表作であり、職を失った下男と生きるために亡骸から髪を引きちぎって売りさばく老婆の問答を、淡々たる文章で描いた佳作――教科書にも掲載されていることがあるので、覚えのある人も多いのではないだろうか。

 今日、『羅生門』というと、こちらの小説が真っ先に出てくるようであるが、発表当時は、『羅生門の鬼』と本気で勘違いされていたというのだからおかしい。

『羅生門の鬼』は、平家物語の『茨木童子』や謡曲『羅生門』を元に生れた伝説で、源頼光配下の渡辺綱が、羅生門に鬼が住み着いていることを知り、一人で門に乗り込み、死闘の末に鬼の片腕を切り落とした。その時鬼が「時節を待って必ず腕を取り返す」と予言した――というもの。

 説話集などによっては、茨城童子同様に、渡辺綱の叔母に化けた鬼が綱の館にやって来て、自分の腕を取り戻しに来る――というものもある。

 この伝説は戦前までよく知られており、『羅生門』と来ればまず鬼であったようだ。上の逸話は正に『羅生門』違いをしたいい逸話である。

 因みに電話をよこした秦豊吉は、東宝に務める実業家であったが、若い頃は文学者を志し、尊敬するマルキ・ド・サドをもじって「丸木土砂」と名乗る程であった。小説こそ書き残さなかったが、翻訳や随筆では佳作が結構あったりする。

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