落語・野球の熊坂

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野球の熊坂

 源義朝は平治の乱に敗れて都落ち。困ったのが妻の常磐御前。遊んでいても仕方がないので一条戻橋で高い土地代を払って、始めたのが『カフェ常磐』。
 蓄音機を買い込んで、流行小唄やジャズなんぞを盛んに流し、賑やかな店員を雇ってドンチャン、と人気を集めたが、そこに届いたのが「夫義朝が家臣の長田親子に裏切られて暗殺された」というニュース。
 夫を失った常磐はカフェを畳み、子供四人を抱えての流浪の旅。平家の非常線から逃れるべくあちらこちらを彷徨い歩いたが、あわれ伏見の里で非常線にひっかかり、囚われの身になった。
 平宗清が温情をかけてくれたお陰で家族全員命ばかりは助かることとなったが、一家離散の憂き目に合う。牛若丸は鞍馬の山へ預けられ、そこで成長することとなる。
 大きくなった牛若丸、鞍馬中学へ入学し、六韜三略を納め、優秀な成績で卒業した。卒業後、奥州の金売吉ッちゃん(※金売吉次)をマネージャーにつけて、一行華々しく旅興行へ出る。
 美濃青墓の永井長者ホテルに宿泊していた所、夜な夜な街道を荒らし回る悪党、熊坂長範がホテルを襲撃してくる。
 目ざとい義っちゃん、この物音に目を覚まし、枕元にあった鉄扇を手に取り、『エイッ』と熊坂長範めがけて投げつける。
 しかし、相手もさるもので、薙刀をバットのごとくに振るいまくり、これを打ち返す。
 それを受けた義っちゃん、機転を利かせてアンパイヤーになって、「ヒットヒット!」と宣言をする。
 それでも襲いかかる熊坂長範に、義経は腰にさしたる太刀を抜き、勇猛果敢に立ち向かう。
 相手がスキを見せたを幸いに、相手の首を一刀両断。熊坂長範の首は天高く飛んだものの、フラフラその場から落ちてきて、フライに相成った。
 牛若丸「オーライオーライ」といいながら、これを受け止めて、

「アウト!」

『読売新聞』(1930年7月3日号)

 林家三平の父、七代目林家正蔵の改作ネタ。本来は『熊坂長範』という地噺。今はほとんどやり手がいないが、三升家小勝などは得意としたようで記録に残っている。

 正蔵も『熊坂』の名義でやることが多かったが随分と手を入れて派手に改作をしているため、原作との区分で『野球の』と頭につけた。

 正蔵の改作には、『常磐御前』を茶化した『カフェ常磐』もあるが、カフェー好きなひとである。ここに一つの流行が出てる。

 熊坂自体は面白いと思うけど――

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