レコードは浄瑠璃だけのもの? 宮沢賢治

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レコードは浄瑠璃だけのもの?

 宮沢賢治の実家は裕福で、蓄音機があったが、祖父も父も浄瑠璃しか聞かないため、賢治・清六兄弟は「レコードというものは浄瑠璃しかない」と本気で思い込んでいた時期があった。
その誤りを悟ったのは従兄弟の家を訪ねた際で、そこで『シェラザード・ハーヴェイ』『エグモント』といったクラッシックを聞いた。
 賢治兄弟は顔を見合わせ、「レコードは浄瑠璃だけではなかったのだ」と感心したのだからおかしい。
 以来賢治はクラッシックのレコードを愛聴するようになったが、ラッパの中に頭を突っ込みながら『この作曲者は実に呆れたことをする』『ベートベンと来たら、ここのところをこんなふうにやるのだ』などと文句言ったり、批評を言ったり。
 賢治が家出した後も、賢治は東京からレコードを送ってきた。清六はそれを保管していたが、空襲で焼いてしまった。
 しかし不思議な事に宮沢賢治が一番最初に買った「田園」「未完成交響曲」「ドンファン」などなレコードは防空壕に入れられて無事であったという。

宮澤清六『兄とレコード』

 宮沢賢治は現実の貧困や問題と理想主義の中で苦悶をしながら、浪漫的な詩や物語を残した作家である。その作品の多くは教科書や絵本になって今なお愛読されているのはご存じの通り。

 理想主義的な思想を持っていた彼は、金持ちであった実家や一族への忌避や苦悶を有していたが、やはり育ちは強いもので、「金持ちは」といいながらもおぼっちゃま生活はそう簡単には抜けられず、当時としては高級なレコードやサイダーを愛好する一面を持っていた。

 嵐山光三郎は「農耕貴族」的な批評をなしていたが、なるほどその通りである。ただ、そういう矛盾が嫌味にならないのが、宮沢賢治の強味ではなかろうか。

 そんな賢治の若き日の一頁と愛好したレコードの不思議な顛末について。

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