贋作?真実?疑惑の新聞記事と種田山頭火

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贋作?真実?疑惑の新聞記事と種田山頭火

 種田山頭火
正岡子規は嘗て死んで極楽へ行けるものは日本に二人しかない、名和昆虫翁と清沢満之だと云ったことがある、その意味から我輩はもう二人を追加したい。一人は紀州の南方熊楠翁で一人は半狂堂外骨である。 南方は日本の各科の博士などの百人前も学問のある爺で人間の頭にどれだけ智識が盛られるものかのレコードと云ってよい。外骨は学問ではないが奇想珍才測るべからずで篤学で横着でスネ者で一寸手のつけられぬ爺である。 我輩の青年の頃から外骨のつくる書籍雑誌を愛読して二十余年になるが恐くは彼の生きてゐる間は引きづられて行くのであらう。我輩の彼から受けた教育は無用のものだが頗る大きいものである。

「北羽新報」(大正十三年二月十日号)

 こんな記事が、種田山頭火の名前で掲載された。

 なるほど、酒と奇行と仏教で生きた種田山頭火らしい言葉である。世の中の大半は地獄行であるが、奇人も奇人の南方熊楠と宮武外骨は極楽に行けるという所に「奇人、奇人を知る」という趣が出ている。

 長らくこれは種田山頭火の記事として取り上げられ、『山頭火全集』の月報や雑録にも掲載されたほどであった。

 しかし、平成に入って、これは贋作――種田山頭火の名義を勝手に借りただけの記事ではないかという説が浮上をした。

 山頭火研究家であった木下信三は、読者からの「これは山頭火なのかどうか」という手紙を貰い、これを鑑定しているが、「どうも偽物のようだ」と結論付けている。

 一つは山陽出身の山頭火は、東北や「北羽新報」と縁がない事、更に「宮武外骨・南方熊楠」共に接点がないという点、「北羽新報」の社員の一人に「山頭火」の号を持った俳句愛好家が存在した所から、そう結論付けたようである。

 しかし、原文には「種田山頭火」とご丁寧に記されており、混乱を一層招く始末になっている。

「寄稿」という形で掲載した可能性も否定できないし、或いは山頭火がどこかで語ったものを流れ流れて恰も山頭火の弁説のようになった可能性もある。

 真相は闇の中、ただ虚像とも実像ともつかぬ種田山頭火の皮肉とも絶賛ともつかぬ言葉がふわふわと浮かぶばかりである。それもまた山頭火らしい、といったら山頭火に怒られるだろうか?

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