団子の委員会と夏目漱石

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団子の委員会と夏目漱石

文科省主催の著作者協会設立をめぐり、委員の一人に夏目漱石を立てようと決めた。
生田長江が説得役になって漱石宅を訪ねたが、役職嫌いの漱石を前にして生田もタジタジ。
すると、漱石は、生田の心中を見抜いたかのごとく、こう呟いた。
「西洋でもそんなこと(著作者協会を巡る話)があったようだが、ディナーでもたべておしまいになってるようだ。兎角統一ができないもんでね。文芸委員会でもそうだろう。前もってせめて打合せでもしていれば、いいものを、それもなしに、文部省という串で委員という団子を突き刺すようなことになってしまっている。だれが団子委員なぞを欲せんや、だ」
 この一言で計画は丸くずれ、生田長江もわびて帰ったが、仲間たちは「うまいことをいうものだ」と感心仕切りだったという

『読売新聞』(1916年1月22日号)

 夏目漱石は総会や委員嫌いで有名であった。肩書嫌いというべきだろうか。

 博士号を辞退したり、西園寺公望主宰のパーティの招待を「ほととぎす厠半ばにでかねたり」という一句と共に辞去したり、という案件は漱石の性格をよく思わせる。

 よくも悪くも神経質で親分肌。目上、同僚、目下の意見を折半して見せたり、見本役になるのが兎に角嫌だったんだろう。

 ある意味では、官僚や先輩に忖度しつつも、自分や後輩の意見や主張をしなければならないという面倒くささを嫌ったのかもしれない。

 もっとも、弟子や後輩を迎え入れる気質や人間性を考えると、決して「人間嫌い」というわけではなかった。面倒見はいい方だろう。

 そんな漱石であるが、辞去をするたびにうまい発言や一句が浮かんだそうで、それがまた語り草となっている。

 博士号辞任の弁や「ほととぎす……」の句よりはマイナーであるが、非常に上手い例えをした逸話として珍重すべきである。

 正宗白鳥の弁ではないが、夏目漱石は元来「ユーモアの人」ではなかったのか。

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