稀代の文豪と毒舌偏屈の奇人のすれ違い

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稀代の文豪と毒舌偏屈の奇人のすれ違い

 夏目漱石、詩人の上田敏の家を訪ねて文学談義を始めた。
 様々な文士を取り上げる中で、漱石、
「しかし、国木田独歩という人はまるで神様のようだ」
 という。更に言葉を続けて、
「その国木田の作品を拵え物だと言ったら坂本紅蓮洞なる人に盛んに攻撃された。これは面白いから会ってみたいと本気で思った。しかし、俺のことを強く攻撃するんだから個人的に嫌いなんだろう」
 これには関係者も驚き、「あの毒舌偏屈の坂本に会いたいなんてのは夏目先生くらいなものだ」

読売新聞 1909年2月7日号 

 夏目漱石は言わずもがな、日本文学を代表する作家である。

 今でこそ文豪、文学者といって賛美一色であるが、在世当時は必ずしも評価と評判が一致している訳ではなかった。

 特に自然主義界隈や反ロマン主義界隈は、漱石の遊蕩的な態度や観念論を強く批判した。その批判を読み返すと、嫉妬半分や嫌味半分のものもあれば、正宗白鳥のように「漱石の本領は滑稽文学ではなかったのか。観念に走ってからは面白くない」となかなか鋭い指摘もある。

 もっとも、漱石も大人なので、参考になる批評は受け止め、血肉にならぬものは一笑して見逃すという態度を続けた。「賢者は喧嘩をしない」というそれが、漱石にとっては幸いだったのではないだろうか。

 その中でも、坂本紅蓮洞は行き当たりばったりの罵詈雑言や批判をやる「文壇の奇人」であった。その痛烈な批判は当たっていることもあったが、大体は煙に巻くそれなので、多くの文人からは嫌われた。

 その中で漱石のこのコメントである。漱石の鷹揚さというか、怖いもの見たさが出ていて、おかしくなる。「虚弱」なイメージで語られる漱石であるが、意外にも豪胆な所があったのだ。

 もっとも豪胆でなければ、クセモノぞろいの門弟や友人たちをまとめ上げられない――とは思うがね。

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