徳田秋声vs不審者

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徳田秋声vs不審者

 徳田秋声は不思議な度胸がある人で、ちょっとやそっとでは動かない。
 ある時、怪しい男が自分の家に逃げ込んでくるという事件があった。如何せん相手は不審者、家族はすくみ上がりオロオロするばかりであった。
その時、徳田の家には売れっ子の島田清次郎と雑誌記者がいたが、普段の威勢はどこへやら、困惑するばかりであった。
 しびれを切らした徳田秋声は、一人庭に降りて不審者の場所を探し出すと、
「おい、早く出ていってくれ。見逃してやる。裏は空いている」と、呟いてそのまま悠然と座敷へと戻っていった。
 不審者は何も抵抗することなく、コソコソと出ていった。

 徳田秋声は、自然主義文学の完成者というべき存在である。

 元々は硯友社系の作家であったが、硯友社の戯作的・美文的な作風についていけず、不遇をかこつていた(それでも紅葉四天王と呼ばれたりしたが。ただ、この評価は後年の売り出しもあるのではなかろうか)。

 尾崎紅葉没後、自然主義に近づき、自然主義を開拓して「己」を書くことが文学に繋がる――という事を実証した島崎藤村・田山花袋といった流れを受け継ぎながら、徹底的な写実を練り上げ、大成した。

 今読んでも目を見張るような写実や男女関係が描かれており、その文才・観察眼の鋭さには驚かされる。

 内容は男女の痴情・恋のもつれといった「自然主義」的な暴露趣味こそ残るものの、それらの欠点をカバーするだけの文章と設定がある上に、鋭い観察眼が不思議な味を漂わせる。ある意味では、「世相スケッチ」的な一面もある作家と言えようか。

 そんな秋声は、幼い頃から苦労をし、青年期は放浪と孤独な日々を送っていた事もあってか、非常に我慢強く、また度胸のある人物であったという。孤独や逆境に強かったというべきだろうか。

 そんな彼の一面を見事に現したのが上の逸話である。「天才」と謳われ、時には「高慢」と批判された島田清次郎が大人しく、徳田秋声の方が物怖じしないというのがどことなくおかしい。

 文学の栄枯盛衰に一生を身を捧げた秋声にとって、ちょっとやそっとの事は感情をあらわにすることではないとでも思っていたのだろうか。

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