天ぷら屋をはじめた松旭斎天勝(都新聞芸能逸話集)

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天ぷら屋をはじめた松旭斎天勝

★揚げ台の天勝
二代目を姪に譲つて旅館水明館の女将で納まつてゐた初代天勝、旅館だけではまだ儲け足りないと見えて今度銀座二丁目へ天ぷら屋を開業、師匠天一も晩年はやつぱり天ぷら屋を開業したといふからこの方でも跡を継いだ訳だがら揚台野前に天勝が坐るのを見て客が、ハイツと声をかけると鍋の中から水が噴き出すんぢやないかい

1940年3月20日号

 松旭斎天勝は明治末から昭和初期にかけて一世を風靡し続けた天才の女流マジシャンである。その美貌は伊藤博文から三島由紀夫まで魅了し続け、「絶世の美女」「奇術の女王」の異名をほしいままにした。

 今なお、美貌の代名詞として名も高く、ゲームの『明治東亰恋伽』のチャーリールートではヒロインが天勝と見立てられたようなシーンが出てくるほど。

 弟弟子の天洋と協力して、松旭斎を奇術師の一大勢力へと成長させ、大奇術を日本の芸能として定着させた功績は兎に角大きい。大一座を率いた関係から多くの女流奇術師を育成し、戦後の奇術ブームの基盤を作った。

 そんな天勝も老いには勝てず、1936年に姪の正天勝に二代目天勝の名を譲り、引退公演を数年行って引退(数年も引退公演できるというのが悠長な時代である)。

 その後は、日比谷に「水明館」なる旅館を持って経営をした他、最晩年はスペイン語の学者金澤一郎と出逢い、再婚している。老いらくの恋といえよう。

 そんな天勝は、師匠の天一同様になかなか商魂たくましく、あれこれとビジネスに手を出した。天ぷら屋もその一つであるが、お得意の水芸で「ハイッ」というと、水や物が飛んできた例えで、「天ぷらの中から水が出てくる」というのがおかしい。ちょっとした落語である。

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