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岡倉天心の小指
岡倉天心は酒癖が悪く、酒が入ると日本刀を振り回す癖があった。飲んでは刀を振り回すので家人は肝をつぶす。
福原麟太郎『岡倉天心』より(『現代日本文学全集100』)
たまりかねた父親が「それ危ない!」と一喝するや、天心も我に返ったーーが、手元の刀が狂って左の小指を切ってしまった。岡倉天心の指は生涯曲げることができなくなった。
岡倉天心は明治を代表する美術史家・思想家である。お雇い外国人で東洋美術史家のフェノロサと手を組んで、日本美術や日本文化を西洋に発信。特に『茶の本』は今なお名著として、再版・翻刻をされ続けているのはご承知の通り。
また、今の東京藝術大学の前身、東京美術学校を設立し、多くの画家や芸術家を輩出したのも大きな功績として語り継がれている。もし、天心がいなければ、菱田春草も横山大観もなく、日本美術界は大きく衰退していたかもしれない。そして、『めいこい』もつくられなかったかも知らんよ。
さて、岡倉天心の写真には不思議な謎が隠されている。それは左手を余り出していない、特徴的なポーズの取り方である。下の二枚などは有名であるが、右手だけ出して、左手は懐手にして、袖を流している。
一見すると、腕がないようにも思える程である。
しかし、腕がないわけではなかった。下の写真もみればわかるように、キチンと腕はあったし、動かす事も出来た。残っている写真の中には普通に両手を出しているものはあった。

でも、天心は何か隠すように、いつも左手を控えがちにしている。
その答えは、岡倉天心の弟、岡倉由三郎が知っていた――それが、上の逸話である。
かの折口信夫は、顔に大きなあざがある事が嫌いで、わざと顔をずらすように写真ポーズを撮っていたというが、天心もまたそんな遠慮があったのではないだろうか。
ただ自尊心が強いから、腕組みや懐手をしていたというわけではなかろうぜ。
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