幸堂得知の秘芸は如何

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幸堂得知の秘芸は如何

 幸堂得知は近代日本における劇評家の嚆矢の一人である。これまでの『歌舞伎評判記』のような記載から脱皮し、文芸的にも記録的にも貴重な劇評のあり方を考え続けた。
 元々は小説家として活動をしていたが、結局劇評家の方の活躍が目立ったのは、文学的素養よりも、江戸時代以来の気風や体質を受け継ぐ、いわゆる「通人気質」故だという。
 その粋な人となりを、幸田露伴は、
「江戸っ子で、男は良し、三井銀行の支店長だから金はある、芸もある。先生先生といわれてモテた」
 と、分析しているが、金があり、洒落っ気があり、声が良く唄や芝居の真似も上手かったので、慕われたという。
 そのくせ人を食ったような所があって、「芸を一つ」と頼まれた際、「とっておきのをやりましょう」と得知は胸を張った。
「何をやりますか」
「初代市川團十郎の声色だ!」

 初代團十郎は得知の生れる140年前に亡くなっている。こうして煙を巻いたというのだから、粋人というか、洒落がきついというか。

幸田露伴『露伴翁家談』

 幸堂得知は、三井銀行の支店長で、作家で、劇評家といういくつもの顔を持っていた。元祖エリート幹部作家といえるかもしれない。

 饗庭篁村の「根岸一派」に所属して、江戸の粋人文化やイキを生かした戯作小説を書いたが、こちらではあまり売れる事はなかった。

 時代的にも、文芸から文学への転換期でこれまでの作風が否定され始めたのも大きいだろう。

 そんな幸堂得知は、小説ではなく劇評や芸能研究で一家をなした。ある意味では粋人的な気質が作用したのかもしれない。

 得知の洒落っ気を示す逸話です。

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