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朱雀の予言で天に上った鋳掛屋・陶安公

陶安公(とうあんこう)
前漢時代の仙人
・能力・
前職は鍛冶屋。
鍛冶の名人だったそうで、その功績は火を伝って天まで届いた。
それを知らせるべく朱雀が彼の元にやって来たほど。
最終的には赤い龍に乗って天へ上った。
陶安公は六安(安徽省)に住まいする鍛冶屋であった。
『捜神記』より
毎日火を使い仕事に励んでいた。その仕事ぶりは大変評判であったという。
ある朝、いつものように火を焚き始めると、火の粉が舞い上がったと思うと、にわかに紫色の炎が巻き上がり、それは天まで届く勢いであった。
それをみた陶安公、ふいごの下に伏せて天に祈りをささげた。
すると、天から朱雀が飛んできて、炉の上にとまった。陶安公が顔を上げると、朱雀は、
「安公よ。お前の鍛冶の実力はは天までとどいたぞ。七月七日、お前を迎えに赤龍がやってくるであろう」
と告げて飛び去った。
その日以来、陶安公は待ち遠しく待った。この予言を知った町の人たちは、こぞって安公の送別会を催し、これまでの恩と苦労をねぎらい、別れを惜しんだ。
果たして七月七日、多くの人が見守る中で、空からそれは立派な赤い龍が降り立ったと思うと、安公の前に立った。
安公は別れを惜しみながら、龍の背中に乗ると、東南へと消えていったのだという。

陶安公は鍛冶屋という一般的な職業ながら、その凄まじい才能と実力が認められて仙人になったという珍しい人だ。

そういえば、大体超人的な人や職が多い中で、本当に一般人て感じがします。

ここで重要なのは、「その名声や実力が天に届く」という事だね。道教では「天」という概念を大切にしたそうだ。簡単に言えば素性が卑しくとも、天が認めてくれれば仙人にも神にもなれる。逆にいくら権力や富があっても、天が許さねばいくら経っても仙人にはなれないという。

陶安公は天に認められたのですね?

そうなるだろう。朱雀に赤い龍とは滅多にやってこない存在だからね。ましてや朱雀なんかは、鳳凰と同一視されて、「優れた者の前でないと現れない」的な解釈もされるときもあるようだ。それだけ陶安公が優れていたという証拠だろう。

仙人は生れついた才能だけではなく、その人の心構えや精進次第で天から認められればなれるという逸話っぽく感じます。
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