島崎藤村と田山花袋の来客事情

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島崎藤村と田山花袋の来客事情

 田山花袋と島崎藤村は、自然主義文学の双璧的な存在であったが、来客の応対は真逆であった。
田山花袋は来客があると、それが編集者であれ、弟子であれ「やあ、上がりたまえ」と部屋に上げてそこから用件なり雑談を聞いていた。
一方島崎藤村は、玄関に客が来るなり、その場に正座をして丁寧に挨拶をはじめる。相手が恐縮していると「どのようなご要件で」。
 相手が要件や面会を頼むと「それはお断りします」と、また丁寧にお辞儀をする。
 そうなると二の句も要件も告げられず、来客はそそくさと帰るばかり。関係者は「島崎さんは困る」とぼやくが恐ろしくて当人に告げられない。
 一方、藤村は「なぜか自分のところに人が近づいてこない」としきりにぼやくことぼやくこと。

 自然主義文学の完成者であり、明治を代表する作家、島崎藤村と田山花袋。共に己の経歴や友人を巻き込みながらも、質の高い私小説を発表し、良かれ悪しかれ、日本文学に大きな衝撃を与えた。

 今日では「自然主義は暴露趣味」という、否定的なニュアンスで語られがちであるが、正宗白鳥の言う「藤村や花袋によってどれだけの作家が助けられたか」「己の身の回りを書くだけで小説になる事を立証して見せた」「鴎外や漱石は否定の意味で、私小説的な皮肉の作風を示したが、所詮は自然主義の掌の上」(大意)という批評もまた無視できない。

 今日までも続く「周辺雑記」「身の上話」的な小説の基盤を作ったという事実は揺るがないであろう。

 思えば誰よりも「小説の形を示した」作家二人という事になる。

 さて、二人は両人共に海なし県(花袋は群馬、藤村は長野)出身でありながら、性格は真逆であった。

 一言で言えば、花袋は朴訥ながらも憎めない円満家、藤村は偽悪ぶるのが得意な一匹狼であった。そんな二人の性格やクセを見事に現した逸話と言えましょうよ。

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