困った豊島与志雄

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困った豊島与志雄

 豊島与志雄は才筆あふれる人であったがとにかく経済観念に疎く、金が入るとすぐ散財をするため家は火の車続きであった。
 大正時代に円本ブームという全集出版ブームが起こった際、飛ぶように本が売れ、豊島与志雄にも大量の印税が入る事になった。
 それを聞いた友人の辰野隆は「豊島与志雄にやったらたちまち無駄遣いするよ」と出版社や豊島の妻君に相談して、会社と結託し、貯蓄として管理してしまった。
 妻君が必要な時にだけその額を出すという形で妻君は大喜びであったが、豊島はむくれっきりで「アイツラはひどい奴らだ」と朝から酒を飲んではこぼすことこぼすこと。

川口篤『困った先生』

 豊島与志雄は戦前戦後を代表する翻訳家である。元々は菊池寛、芥川龍之介と共に新思潮を発行し、小説家としてデビューしたが、『レミゼラブル』の翻訳で大当たりしたため、翻訳家として活躍する所となった。

 一方、小説も精力的に発表し、西洋文学のロマンを受け継いだ作品群で多くの文学少年を魅了した。

 当人は夏目漱石門下ではなかったが、内田百閒、森田草平、野上豊一郎などとは法政大学の同僚であった。なお、森田とは後年対立し、法政大学を退職している。

 そんな学者としてのエリート街道を進んでいた豊島であるが、その素顔は豪快で酒好き、遊び好きというとんだ道楽人で、関係者はその奔放な豊島の行動や発言に冷や冷やしていたという。

 翻訳や教授の職があり、それで相当稼いでいたにもかかわらず、儲けた先からどんどん使うため、家族は年中苦労する羽目になった。

 仲間たちが印税管理をするのも無理もない、といったところか。

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