生きながら香典をもらった柳家つばめ(都新聞芸能逸話集)

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生きながら香典をもらった柳家つばめ

音曲のつばめの病気も長いもので今だに高座へ御無沙汰のしつ放し、あんまり長いので此間、何処からともなくつばめは死んだといふ噂がパツと広まり、悔やみの手紙が来るやら香典が来るやら、妻君大面喰らひだがつばめは至極朗かで、これで俺も生れ代つて、却つて長生きするだらう、ナニ、香典……?折角の志だ、返すのも悪いからそれは貰つておけ……

1941年3月15日号

 三代目柳家つばめは、戦前の人気落語家・音曲師である。司会者・宮尾たか志の親であり、寄席文字橘流家元の橘右近の師匠ともして知られる。

 群馬県生まれの為、少し訛りがあったが、自慢の喉と音感は寄席でも随一の腕前で、落語そのものよりも音曲噺や都々逸で人気を集めた。

 長らくラジオやレコードの人気者として掛持ちするほどの人気を集めたが、1940年に中風に倒れ、そのまま一線を退いた。

 妻は「アーちゃん」というアダ名で知られ、共立芸能社という芸能社を経営していた。

 この掲載時にはまだ健在で「長生きする」と笑っているが、翌1942年2月、57歳の若さで夭折している。

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