26年間、舞台から引込まない羽左衛門(都新聞芸能逸話集)

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26年間、舞台から引込まない羽左衛門

歌舞伎座の「音羽嶽闇争」で、羽左衛門の夜叉太郎が、幕外の六法の引込みを見せてゐるが、羽左が、「だんまり」で幕外の引込みを見せるのは、明治四十三年の一月歌舞伎座で、今の家橘が竹松として初舞台を踏んだ時に出した「鞍馬山」のだんまり以来で実に二十六年ぶりに引込むのだといふ、そゝつかしいのが「ヘエー、二十六年も引込まずに、其間なにをしてゐたんですネ」

1935年3月8日号

 歌舞伎の演目と技法に「だんまり」というのがある。「暗闘」という字を当てるそうだが、「暗闇の闘い」の名の通り、闇の中にいる心で演者一同が手探りあい、見得をする――という古風なものである。

 本来は、お宝の取り合いや人の探しあいなどの場面で使われていたが(今演じられる演目にも残る)、その内、だんまりだけで一幕が出来上がった。こうした場合のだんまりはストーリーも理屈もなく、ただ人気俳優や幹部たちが顔を並べる、レビューショーみたいなものだと考えてもらえばいい。

 よく演じられるのが「鞍馬山のだんまり」「宮島のだんまり」というもので、前者は牛若丸と源氏の残党、鞍馬山の山法師たち。後者は平清盛と平家一族、源氏の残党という形である程度の型が決まっている。

 その中で天明太郎とか夜叉五郎という座頭が勤める、変な役がある。これは最初巫女や白拍子に扮しているが、宝を盗むと花道に出て、男の姿になり、「六方」を踏みながら去っていく――という実に面白い役である。

 羽左衛門は、あんまり独立しただんまりを演じる役者ではなく、当人が本気で演じたのは1910年4月歌舞伎座『鞍馬山のだんまり』が出た以来であった。

 この時のだんまりで、倅の市村勇(十六代目羽左衛門)が初舞台を踏み、牛若丸を勤めている。

 その倅の初舞台以来のだんまりだというので関係者も驚いた事だろう。

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