野口米次郎は大和男子に非ず?
芸術家、イサム・ノグチの父、野口米次郎は長い間英米を旅し、日本文学の啓蒙に務めたが、よくいえば豪胆な外国通、悪く言えば不遜ともとれる態度や作品に、嫌悪感を覚える同業者も多かったという。
伊藤正雄『近世日本文学管見』
特に過激だったのが沼波瓊音で、仲間から『芭蕉論はどうですか?』と尋ねられた際、昂然と、
「あんなものは、やまとおのこ(大和男子)の読むものではない!」
野口米次郎は、今日、芸術家イサム・ノグチの父親と言う形で知られているが戦前は詩壇の第一人者で、外国語での日本文化や作品の紹介で知られた。
慶應義塾に入学するも、日本の学問や体質に嫌気が差して早々に渡米。世界を放浪し、各地で詩や作品を発表、「ヨネ・ノグチ」という名前で一世を風靡した。
実地で鍛えた語学を武器に多くの詩人と交友、ノーベル賞作家のタゴールを日本に呼んだ功績もある(後年喧嘩別れするが)。
一方、その海外放浪中に多くの女性と関係を持ち、その時に作ったのが「イサム」――今なお、美術史に名を遺す彫刻家、イサム・ノグチである。
良くも悪くも、日本より海外の見識や態度をとる野口米次郎は、戦前の愛国者・保守系とは結構仲が悪く、多くの詩人と対立した。
そのくせ、太平洋戦争になると野口米次郎も愛国的な発言を連呼するんだけどね。
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