野口米次郎のざっくばらんなため口

[random_button label=”他の「ハナシ」を探す” size=”l” color=”indigo”]

野口米次郎のざっくばらんなため口

 野口米次郎はざっくばらんな性格で、よくも悪くも忖度しない、平然とした態度の持ち主であった。
 ある時、講演会に出た野口米次郎、文学論を話すことになったが、平然と、
「シェイクスピアなんてえ男がいて……」
 と発言。他の作者や文豪もまとめて、「なんて男が」「てな女が」と、みんな知人のように話すので、観客の方が呆れ返ったという。

 後に慶応義塾塾長となる小泉信三が助手として慶応に就任した頃、慶應義塾大学の教授の一人が野口米次郎であった。
 小泉は、助手という身の上の気楽さに任せ、評判高い野口米次郎の講義を拝聴する事に決めた。 講壇の上に上がった米次郎はタバコを吸いながら、まるで誰も相手にしてないかのごとく平然と英語の詩を語る。 その胆力に小泉のほうが驚き呆れたという。
 この話には続きがあって、後に面識を得た二人は交友するようになった。 小泉信三が塾長に就任してまもなく、アメリカの某大学学長が慶応を訪れた際、小泉は野口米次郎を誘って、学長と三人で宅を囲んだ。
 そこまでは良かったが、その際にノーベル賞までもらった有名詩人の話題になった。
 すると、米次郎はざっくばらんな英語で、
「おい、あの男は随分と金に汚いそうじゃないか」
 と放言。小泉信三は冷や汗をかきまくったが、さすがはアメリカの大学長もさるもので、
「うむ、そういう評判だ」
 と平然と相槌を打った。
 小泉信三はこの二人の対話を見てひどく感心をしたそうな。

小泉信三『ペンと剣』

 イサム・ノグチの父で詩人の野口米次郎は、日本よりも世界で活躍した元祖、国際系詩人である。

 その論調や美学観には賛否両論集まる所であろうが、どんな形であれ、日本文化を世界に持ち出した功績は多い。

 そんな野口米次郎は、世界を旅して、多くの光と闇を見て来た事もあってか、無茶苦茶強気で度胸が座っていたそうである。

 嫌なものは嫌、いいものはいい、と直言できる良くも悪くも素直な人であった。そんな野口米次郎の一面を見ることができる逸話である。

 話を書き残した小泉信三は、慶応義塾大学の名学長と謳われた人で、経済学の方面では時代を築いた大御所であった。早慶戦を育て、守り抜いた人物としても知られている。

[random_button label=”他の「ハナシ」を探す” size=”l” color=”lime”]

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました