落語・鸚鵡の徳利

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鸚鵡の徳利

 新春。劇場も寄席も「初芝居」「初席」と名乗って、めでたく大幹部や真打が並ぶのが常となっていて、普段の寄席よりもいっそう華やか、賑やかになる。
 当然、お客の方も一目見ようと押し掛けるわけ――だが、全てが全ていけるわけではない。友人づきあいや仕事が忙しいとなれば、年始回りに忙しく、旦那は外を駆けずり回り、妻は家で年始回りの客の相手をしなければならない。
 ある所に、大変芝居好きな奥さんがいた。嫁ぎ先は結構裕福で、書生さんも抱える程――芝居も見るだけの余裕があるもの。
 しかし、家が立派ということは新年の挨拶や応対も大変な事になる。旦那は朝から年始回り、自分も来客対応ばかり。
 そんな日々に嫌気が差した奥さんは、家にいる書生の福田に愚痴をこぼす。
「松の内は忙しくてしようがありません……今日も宝木の奥さんに芝居に誘われたけども、忙しくて断りました。旦那が不在で出かけるわけにもいかず……電話はあっても劇場の様子をうかがえるわけでもなし……」
 そして、福田に一つお願いを持ちかける。
「そこで思い出したのが、以前、御隠居様が長崎から持ってきたという鸚鵡の徳利。この徳利の栓をぬいて、人に向けると人の放つ声がおさまるというものです。まだ一度も取らせたこともないのですが、どうです、今日序幕からおしまいまでこの徳利に詰めてきて、一つ芝居を取って来てくれませんか?」
 奥さんは、福田に十分な小遣いを与える。遊びに行けて、金ももらえると知った福田は喜んで、鸚鵡の徳利をぶら下げて歌舞伎座へ向かう。
 いい席を陣取って、好きな物を飲み食いしながら、幕が上がるたびに栓を開け、幕が閉まると栓を閉じる。
 そうして、一幕、二幕と過ぎていき、歌舞伎の大詰でお馴染みの『寿曽我対面』がはじまる。

(ここで、演者は歌舞伎そっくりの演じ方をする。時としては声色を使ったり、役者の型を見せたという)。

 最後に頭取が出てきて、『本日はこれきりぃ!』と、切り口上を述べて幕が下りる。
 いい気持ちで帰ってきた福田君、さっそく奥さんに鸚鵡の徳利を渡す。
 待ってましたと奥さんが栓を抜くと、

「本日はこれきりぃ!」

 ここで落とす形もあるが、文楽は「蛇足」として、このオチの説明をしている。曰く、
「おやおやこれではおしまいだわ」
 とあきれる奥さんを前に、福田は徳利を振ってみて、

「しまった。序幕は下積みになっております。」

『傑作落語会』

 上のは五代目桂文楽がやった明治末の当時のもの。明治の演芸雑誌『百花園』に出たのが最初か。当時はまだ歌舞伎が一大娯楽だった事もあって、声色――いわゆる、歌舞伎の物真似でやっていたという。

 その内容が、芝居の真似事で占められているという不思議な作品でもある。ある意味では、喉のよさを聞かせる『音曲噺』ならぬ、芝居本位の『芝居噺』なのかもしれない。

『寿曽我対面』は、歌舞伎でも指折りの名演目とされており、歌舞伎の基礎的な役柄や演出が揃ったものとされている。落語でいえば『寿限無』や『まんじゅうこわい』的なそれかもしれない。

 今はどうも若手がやるような芝居になってしまっているが、明治時代の全盛期などは、市川團十郎が荒事の曾我五郎、尾上菊五郎が和事の曾我十郎という形で大看板が顔を並べたわけ。

 当時の客も噺家の演じる役者の声色や仕草をみて、「あそこが似てる」「ここを工夫している」と笑ったり、感心した事であろう。

 因みにオチは、「序幕から徳利に入れた事により、序幕が先に入ってしまった」という粗忽、と、「序幕は下回り(下っ端俳優)ばかり出る」という歌舞伎のお決まりを二重にかけたもの。オチとしては――ふーむ。

 長らく廃れていたが、当代の人気者・柳家喬太郎が復活させ、時折演じている――が、芝居噺ではなく、「寄席好きの妻のために寄席の声を徳利に納める」という、メタフィクション的なネタに変えられている。

 管理人も一回見たが、芝居要素は殆どなく、三遊亭円丈、柳家小三治、鈴々舎馬風といった当代の人気者の高座模写をやってみせるような――言わば、『ほうじの茶』のような噺であった。

 もっとも、そこの弱さを、喬太郎当人もそこを自覚しているのか、取材に対して「落語は最初と最後の1ページだけやり取りで、残りは延々と芝居噺。これは演らなくなるわけだと思いました。」と発言している。

 しかし、きちんとした研究や考察をもって、復活させてやっているのでこれはこれでありだと思うし、寄席に定着するのは喜ばしい事である。

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