2022-09

浪曲ブラブラ

九州浪曲界の長老・春光斎柳風

「九州浪曲界の長老・春光斎柳風 - 浪曲を彩った人々」春光斎柳風は戦前戦後活躍した浪曲師。東京と関西と浪曲の本場が集中していく中で、九州での活躍を継続的に続け、九州最後の売れっ子浪曲師となった。90近い齢を保ち、最晩年小沢昭一と出会っている。
浪曲ブラブラ

京山一門中興の祖・京山恭安斎(二代目)

「京山一門中興の祖・京山恭安斎(二代目) - 浪曲を彩った人々」京山恭安斎(二代目)は浪花節黎明期に活躍した人物。「浮かれ節」と呼ばれた浪曲の改良に尽力を注ぎ、京山若丸、小円、恭為、大隅、大教などを輩出。京山を一大ブランドに仕立て上げ、東西浪曲界から「初万のオヤジさん」とあだ名されるほどの精力を誇った。
浪曲ブラブラ

鉄道省官僚から浪曲師・東家燕太夫(二代目)

「鉄道省官僚から浪曲師・東家燕太夫(二代目) - 浪曲を彩った人々」東家燕太夫(二代目)は戦前活躍した浪曲師。東京浪曲界のプリンス・東家楽燕の弟子ながら関西へ移住し、浪曲親友派で一枚看板になったという珍しい芸人であった。妻は浪曲三味線の第一人者として知られた東家菊栄である。
浪曲ブラブラ

関西浪曲界の取締役・中川伊勢吉(四代目)

「関西浪曲界の取締役・中川伊勢吉(四代目) - 浪曲を彩った人々」中川伊勢吉(四代目)は戦前活躍した浪曲師。名門・中川伊勢吉の四代目を襲名し、全盛期は広沢虎吉、岡本鶴治と並ぶ勢力を誇り、清廉潔白・円満人徳な所から多くの浪曲師から慕われた。芸の方も名人として知られ、名人位の名声をほしいままにした。
浪曲ブラブラ

夭折の麒麟児・京山円州

「夭折の麒麟児・京山円州 - 浪曲を彩った人々」京山円州は戦前活躍した浪曲師。天才児としてデビューし、広沢晴海と共に「麒麟児」として謳われた。一時期は日吉川秋水、京山幸枝、梅中軒鶯童などを一蹴してしまうほどの人気ぶり、天才ぶりを見せたが、大幹部になる前に30代で夭折した。
浪曲ブラブラ

花魁の如し・桃中軒薄雲太夫

「花魁の如し・桃中軒薄雲太夫 - 浪曲を彩った人々」桃中軒薄雲太夫は戦前活躍した女流浪曲師。太夫と称したように面妖な風貌とあでやかな節まわしで人気を博した。「桃中軒」というものの、桃中軒雲右衛門の弟子ではなく、元は河内音頭の踊子である。
浪曲ブラブラ

広沢虎吉候補・広沢菊水(二代目)

「広沢虎吉候補・広沢菊水(二代目)」広沢菊水(二代目)は戦前活躍した浪曲師。四代目広沢虎吉の筆頭弟子で、師匠の前名「菊水」を継承。師匠譲りの芸題と幅広い芸風で人気を集めたが、師匠よりも先にドロップアウトしてしまった。
浪曲ブラブラ

浪曲師三代・天中軒秀峰

「浪曲師三代・天中軒秀峰 - 浪曲を彩った人々」天中軒秀峰は戦後活躍した浪曲師。九州を根城にし、九州からほとんど出る事のない独立独歩の浪曲師であった。祖父が桃中軒峰右衛門、父が関東秀丸という浪曲師一家のサラブレッドとしても知られたが50代で夭折を遂げた。
浪曲ブラブラ

名門三代・京山小円(三代目)

「名門三代・京山小円(三代目) - 浪曲を彩った人々」京山小円(三代目)は戦前戦後活躍した浪曲師。京山小太夫という名前で売り出し、戦後に大名跡の「京山小円」を襲名。衰退する浪曲界の中で奮闘を続け、京山小円家秘伝の「三段流し」とその大きな看板を守り切った
浪曲ブラブラ

広沢宗家四代目・広沢虎吉(四代目)

「広沢宗家四代目・広沢虎吉(四代目) - 浪曲を彩った人々」四代目広沢虎吉は戦前戦後活躍した浪曲師。大阪浪曲界のドン・二代目広沢虎吉の後継者として早くから見なされ、広沢宗家の貴公子として活躍した。兎に角幅の広い芸域と芝居っ気のきいた浪曲で一時代を築いた。