2022-10

浪曲ブラブラ

楽燕門下きっての海外通・東家燕遊

「楽燕門下きっての海外通・東家燕遊 - 浪曲を彩った人々」東家燕遊は戦前活躍した浪曲師。東家楽燕の門弟で、24歳で渡米。そこから数年にわたってアメリカ社会に半移住し、同地の名物芸人として活躍をすることとなる。
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夭折の麒麟児・浪花亭駒造

「夭折の麒麟児・浪花亭駒造 - 浪曲を彩った人々」浪花亭駒造は浪花節黎明期に活躍した浪曲師。たぐいまれなる天才的な芸と凄まじい努力家として知られ、大幹部や席亭から「浪花節の次世代を担うのはこの男」とまで期待されたというが、28歳の若さで夭折してしまった。
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彫師から浪曲の大看板・吉川亭虎吉

「彫師から浪曲の大看板・吉川亭虎吉 - 浪曲を彩った人々」吉川亭虎吉は浪花節黎明期に活躍した浪曲師。謎が全体的に多いが、元々は刺青の彫師をやっており、入れ墨よりも浪曲の腕を見込まれて浪曲師になったという変わり種である。
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学士浪曲師・北原白峰

「学士浪曲師・北原白峰 - 浪曲を彩った人々」北原白峰は戦前活躍した浪曲師。東家楽燕の『日本浪曲学校』の生徒で、中学生の頃から浪曲を学び、学士浪曲師としてデビューしたという変わり種であった。
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浪曲学校卒業生・落合繁

「浪曲学校卒業生・落合繁 - 浪曲を彩った人々」落合繁は戦前戦後活躍した浪曲師。東家楽燕が経営する日本浪曲学校の卒業生で、学校卒業生の売れっ子として堀井清水、南条文若(三波春夫)などと共にしのぎを削り合ったが、志半ばで夭折する結果となった。
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ブリキ屋の親方・木村正行

木村正行は戦前戦後活躍した浪曲師。浪曲師としてはそこまで売れる事はなかったが、ブリキ屋を経営しながら浪曲師としても活躍し、「ジキルとハイド」の異名を取った芸人であった。
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原鶴燕から鼈甲斎へ・鼈甲斎右虎丸

「原鶴燕から鼈甲斎へ・鼈甲斎右虎丸 - 浪曲を彩った人々」鼈甲斎右虎丸は戦前活躍した浪曲師。明治末から活躍した古参芸人で、一時は「原鶴燕」を名乗るほどの実力者であったが、なぜか後年虎丸門下に移り、「鼈甲斎右虎丸」と改名。そのまま一枚看板になることなく、暮らした。
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アメリカ帰り・玉川鶴太郎

「アメリカ帰り・玉川鶴太郎 - 浪曲を彩った人々」玉川鶴太郎は戦前活躍した浪曲師。小金井太郎に次ぐ初代玉川勝太郎門下の古老であったが、当人は本格浪曲よりも浪曲映画の弁士や米国巡業など、奇抜な行動で知られたという。
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関西節から関東節へ・吉川清之助

「関西節から関東節へ・吉川清之助 - 浪曲を彩った人々」吉川清之助は浪花節黎明期に活躍した浪曲師。元々は師匠譲りの関西節を演じていたが、一念発起をして関東節に切り替え、関東で一廉の真打になったという苦労人であった。
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浪花節黎明期の看板・春日井枝女太

「浪花節黎明期の看板・春日井枝女太 - 浪曲を彩った人々」春日井枝女太は浪花節黎明期に活躍した浪曲師。春日井派の新鋭として売り出し、明治末年の東京浪花節界隈の売れっ子であったが、大スターになる事は出来ず、そのまま中途半端に老いてしまったという。